離婚を巡る交渉④離婚協議書案(第2案)への反論
2021年9月28日(離婚成立:105日前 / 別居決行:90日後)。
協議書案(第2案)を作成して送付後、元夫から反応があったと弁護士から連絡がありました。
子ども毎に養育費の金額の差をつけること、65歳までの扶養料を現時点では承諾しかねる
養育費の金額は、私が就労をし始めているのであればおかしいのではないか
面会交流は認められて然るべきではないか
話をした雰囲気で、離婚についていろんなことを学んできている印象を受けました。今後の方針を立てていきたいので、一度打ち合わせができませんか?ということでした。
なんか面倒くさいことを言い始めたなと思いました。誰かに入れ知恵でもされたのか、元夫が弁護士でも雇ったのかと一瞬考えました。
でも落ち着いて考えてみれば、弁護士は雇っていないはずです。もしそうならば、弁護士同士で話をするはずですから。
離婚協議書案(第2案)は、少し無茶な要求をしていることは私も分かっていましたが、難病児・障害児を育てていくことの大変さを知らしめてやりたいという思惑がありました。元夫の反応からすると、そこら辺のことは全然伝わっていませんね。まあこれも想定内です。
一緒に暮らしている時から第3子の病気や障害についてはほぼ理解していませんでしたし、結局、自分の保身しか考えないのでしょう。
養育費の減額とか、今後、私が諦めないといけないことも出てくるんだろなと思いました。
ただ今回の元夫の反応で気が付いたのが、学資保険について触れられていないことです。学資保険については「契約者を変更する」と明記しているのに、それについて反論がなかったのです。
その4日後の10月2日。学資保険の契約者変更のための書類が、法律事務所経由で送られてきました。
離婚協議書案(第2案)で反論されなかったから、もしかしてと少し期待していましたが、やっと諦めて私へ(子どもたちへ)譲る気になってくれたようです。
こんな調子で、面会交流も諦めてくれないかなと考えてしまいました。なぜ離婚協議書案に書かなかったのかと言えば、面会交流を実施する気が子どもたちに全く無いからです。
隠れてコソコソ引っ越して、その後も居場所を隠し続けているくらいです。結局のところ、元夫は私だけでなく、なぜ子どもたちにも逃げられたのかを理解できていないのだと思いました。
ただ私が別居決行日に置いてきた手紙には、お作法のようなつもりで、面会交流は条件付きで認める旨を書いていました。それを読んで、面会交流が実施される可能性があると思っていたのでしょう。
その条件とは、第3子は面会交流中に持病の発作が起きたら怖いから(元夫は対処しきれないので)面会交流は無し、あとの3人は本人たちの意志に任せるというものでした。
でも、その3人が元夫とは絶対に会わないと言っているのだから、どうしようもありません。
面会交流もなんとか諦めさせる方向へ持っていけないかなと願うばかりでした。