自由の道を歩き始めるまでの葛藤⑥~唯一の息抜きの術を失う~

結婚生活の最後の数年は本当に苦痛な日々でしかありませんでした。でも当時はまだ第4子が成人するまでは我慢しようと思っていました。

どうしてそんな生活でも我慢ができたのか?

それは元夫が1か月〜2か月おきに、約2週間の出張で家を空けることがあったからでした。
その期間が唯一、自宅が安らげる場所になるので、いつしかこの出張期間のことを子どもたちが「平和週間」と呼ぶようになっていました。
この「平和週間」があったので、なんとかバランスを保てていたのです。

コロナ禍に翻弄される

しかし、この状況が一変してしまう出来事がありました。
コロナ禍の到来です。
2020年3月、突然、一斉休校に突入しました。子どもたちはずっと家にいるようになりました。

家にいるようになったのは子どもたちだけではありません。
元夫も在宅勤務という名の事実上は仕事が無い日々が続くようになりました。
業務上、日本全国の移動が伴い(当時は移動制限があった)、業務内容も対面でなければほぼ成り立たず、ただただ自宅待機の日々が続きました。
在宅でできる業務があればまだ違ったのかもしれませんが、元夫は何をするでもなく1日中リビングに居座り、テレビを見るかスマホをいじるようになりました。

子どもたちと私はいよいよ自室から出ることができなくなりました。顔を合わせればトラブルが勃発するからです。
私は時間になったら食事の準備をするために自室から出てリビングから丸見えのキッチンに立つのですが、その時間を罰ゲームだと感じるようになりました。
子どもたちは食事の準備ができると、食事を自室に運んで食べるようになりました。

私は以前から、忙しさからキッチンで片付けをしながらその合間に食事を済ませていましたが、とうとう元夫と向かい合って食事をする人がいなくなりました。
もちろん元夫にとってもストレスだったとは思いますが、当時の状況では、もはや誰もどうすることもできませんでした。

子どもたちの体に異変が

そんな生活から1か月少しが経って、第1子の体に異変が現れました。ひどい眩暈で立っていられなくなったのです。
ストレスからくる不調でした。年単位の長い通院治療が必要になりました。

それから遅れて第2子にも不調が現れます。第2子は胃腸症状でした。
これが長引き、症状は変化しながらどんどん悪くなり、結果的に第2子は通っていた高校を辞めることになります(通信制高校へ転入学します)。

コロナ禍が大きなきっかけになりました。
もしコロナ禍が無ければ、恐らく第4子が成人するまで待っていたと今でも思っています。


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