19年間専業主婦だった私が社会復帰するまでの道のり
本格的に仕事を探し始めたのは2021年4月からでした。でもそれまで何もしていなかったわけではありません。
職種を選ばなければ、仕事はなんでもあったと思いますが、私にはやりたいことがありました。
そのために本格的に勉強を再開したのは、2019年秋です。当時43歳。年齢的にかなり焦りを感じていました。
実はそれよりさらに10年前の2009年、社会復帰を目指して勉強していました。しかし2009年は第3子が難病を発症した年。しばらく闘病に専念することに決めたのでした。
私がやりたいと思っていたのは、Webサイトの制作でした。
純粋にWeb制作に関わってみたくて選んだ業界でしたが、在宅勤務が可能なことは私の生活にとても合っていました。
企業によって就業規則が異なるので絶対にとは言えませんが、Web業界は在宅勤務を可能としているところが多いです。私は入社から約2か月間は毎日出社していましたが、その後は用事がある時だけ出社し、基本的に在宅勤務をしています。
そのおかげで病気や障害のある子を持つ親が預け先に最も困る長期休みも、困ったことがありません。第3子の体調が少し優れない時も、第3子の様子を少し気にしながらにはなりますが、休まず働くことができます。
第2子が高校時代、不登校になってしまった時期があります。体調が優れず休んだり、遅れて登校したり、早退したり、最終的には高校を辞めたのですが(通信制高校に転入学したのですが)、この時も在宅勤務だったから仕事を辞めずに第2子に寄り添う時間を持つことができました。
子どもの不登校を機会に退職する人も多いと聞きますが、当時の私も絶対に家を空けられない状況でした。もし在宅勤務が不可だったら、私も仕事を辞めることになっていたと思います。
2000年頃の話
1990年代からインターネットが普及し始めて、2000年代始め頃になるとかなり普及率は高まってきました。それでもまだ当時はガラケー全盛期で、パソコンを持っている人はあまりいなかった時代でした。
私は周りより早いタイミングでパソコンを使い始めていました。
結婚と同時に専業主婦になり、比較的すぐに妊娠したため、そのまま専業主婦を継続。私は暇を持て余していました。
当時、自分のホームページを運営することが流行っており、その流れで私も作成しました。SNSなんて無かった時代なので、自分のホームページやよそのホームページへ遊びに行って掲示板で交流をしていたのです。
自分の書いたコードが見える形になってモニター上に反映される。それが面白くて、作ることにどんどんのめりこんでいきました。
そして自分が社会復帰する時が来たら、これを仕事にしてみたいなと考えるようになっていました。私は英文学部の出身の文系人間です。大学時代の情報処理演習の授業が苦手で課題を弟に代行してもらったこともあるくらいなのに、人生どう転ぶか分からないものです。
この当時はWebサイトの制作は独学でした。知識不足の状態でWeb制作の在宅ワークに応募したこともあったのですが、任されたのは誰でもできそうなガラケー専用サイトの制作。仕方ないですが当時の私の技量ではそうなります。やりたい仕事を任されたいのならもっと本格的に勉強をする必要があると感じました。
2009年の話
第3子が産まれてしばらくして、そろそろ社会復帰の準備をしておこうとWeb制作を学び始めます。独学よりも効率良く学べると思い、オンラインスクールのWebデザイナー養成コースを選びました。
約半年の受講期間の間に、Web制作の基本的な技術や必要なアプリケーションの使用方法を学び、集大成としてWebサイトを作り上げます。
ところが受講期間中に第3子が難病を発症。受講継続さえも苦しい状況になりましたが、なんとかカリキュラムを修了することができました。
状況が変わったので仕事に就くことはしばらく諦めることにしました。知人などから頼まれることがあれば単発で請け負うくらいに留めておきました。
2019年の話
第3子が10歳、小学校4年生になりました。私は43歳になりました。年齢的にかなり焦りを感じていました。私の知っている範囲には専業主婦なんていなかったのです。正社員、パート、家業の名だけの役員など、形態はいろいろですが、何かしらみんな働いていました。年齢的に今、社会復帰しなければ、もうできなくなってしまうのでは?と焦っていました。
10年前の2009年にもWeb制作の勉強をしましたが、日進月歩で技術が進化するWebの世界では10年前の知識では古すぎます。勉強のためにまた高額な授業料(50万円)を払うのも気が引けてしまい、だからと言って独学でやり直す気力も無く、その時の私はWeb業界とは全く違う職種のパートの求人ばかり見ていました。
回転寿司チェーンのパートに応募しようと思って、採用のエントリーフォームまで進みますが、手が止まりました。これで本当にいいのか?
翌日、Web制作が学べる通学型のスクールに入学説明を聞きに行き、その場で入学を決めて来ました。
元夫にいろいろ言われるのは面倒だなと思ったので、元夫には秘密でした(この頃、家庭内は既にかなり険悪な状態で必要以上の会話は無くなっていました)。
授業料は私の財産から支払い、子どもたちが学校に通っている間に通うので元夫が困ることはないし、当時はまだ体力もあったので深夜早朝に勉強をする、元夫に迷惑を掛けることは1つも無いと思っていました。
10年前に受講したオンラインスクールと同系列の通学型スクールなので、技術は新しくアップデートされていますが基本的に学ぶことは同じです。Web制作の技術とアプリケーションの使用方法、卒業制作としてWebサイトを作り上げます。
何を表現をしたいのか、どうやったら実現できるのか、調べて考えて自力でWebサイトを作ることは、今の実務でもとても役に立っています。
実務で最も大事なのが、分からないことを調べる力、自己解決できる力があるかどうか、だからです。
2020年の話
2020年1月コロナ感染者が日本で初めて確認されてから、不穏な時期に突入。2020年4月、緊急事態宣言が発令されスクールへも通えなくなってしまいました。最後は全てオンラインでの授業になり、そのまま卒業を迎えました。
入学当初は卒業時には仕事に就こうと意気揚々としていたのですが、時はコロナ禍。完全に調子を狂わされてしまいました。
そして仕事に就けなくなってしまった理由がもう1つ、父の体調悪化でした。がんで闘病中ではありましたが、それとは全く別件で突然、敗血症のショック状態に陥ります。
奇跡的に回復したのですが、生命を彷徨った影響で体と脳に一気にガタがきて、介護が必要な状態になりました。そんな状態だったので就活はどんどん遠退いていきました。
その間、スクール経由で知り合った人から単発で仕事をもらったりするなど、勘が鈍らない程度に活動していました。就活を再開する時に向けて、ポートフォリオサイト(技量や過去の実績を見てもらうためのWebサイト)も作成しておきました。Web業界では履歴書と同じくらい、ポートフォリオサイトが必須なのです。
2020年の年末、父が亡くなりました。
私の就活にブレーキを掛けていた原因が1つ減りました。
2021年の話
1月から在宅で新しい仕事を開始しました。誘われたので、まぁやってみようかなくらいの気持ちで。完全に在宅の仕事で、主婦向けのオンラインWebスクールの講師の補佐です。
講師補佐業は、主に受講生が制作したプレゼン資料や作品の添削業務でした。これに加えて質問への対応もありました。私自身も経験者ですが、主婦はだいたい深夜早朝に勉強をします。
深夜早朝の質問には朝1番で対応するようにしていましたが、土日の昼間は私だって休みたいし、子どもたちと遊んだり、出掛けることもあります。そんな時にまで常にスマホを気にしておかないといけないことを疑問に感じるようになりました。
おまけに受講生の知りたいという気持ちに答えてあげるのがこちらの仕事だと思っていたのに、私の回答に対して「そんな高度なことには触れなくていい」「どうせ1か月でできるわけ無いんだから適当に答えておけばいい」と、お金を払って受講している受講生に対して、なぜそんなことが言えるのか?不信感が募っていきました。
この仕事を誘ってきた講師は、結局これが面倒で私に講師補佐をやらないかと誘ってきたのだろうと思いました。
その講師は、受講生への返信が少しでも遅れると文句を言い(私を監視している暇があれば自分でやれば?と思いました)、ひどい時では子どもの卒業式に出席していることを知っていたはずなのに、式の最中に電話を掛けてきたりするのです。
オンオフの区別がつかないことと講師の人間性がストレスになって、3月末にはこの仕事を辞めました。
フリーランスで働くということは、働く時間が自由に設定できる分、オンオフの区別を上手く管理できないとつぶれてしまいます。
その点から私はフリーランスには向いていなかったようです。
別居を決意した4月からは、フリーランスで働くことは考えず、企業で働くことを考えました。そして出会ったのが今の職場です。