和製スタンド・バイ・ミー(後編)
まず我々を出迎えたのはヘビだった。とっつぁんが「ヤマカガシだな」といって尻尾をつかみ、振り回して遠くへ放り投げた。さすが我らがリーダーである。触った感触を聞いてみると、「けっこうかたくて、スベスベしていた」とのこと。
かろうじてずいぶん前に誰かが通ったことがあるような細い道を進んでいく。すると道端に作り物のようなキノコが生えていて、我々は思わず見入った。後で調べたが、たぶんベニテングダケ。おそろしく綺麗で毒々しかった。ものすごく美的センスのある人がふざけて作ったようだと思った。一体どこの誰が、何のつもりで、こんな完ぺきなデザインをしたのだろうか。
オノダが触ろうとしたので止めた。毒があるというのもそうだが、このベニテングダケは、ここから先にあるものの「標識」になっている気がしたのだ。標識は壊してはいけない。案の定、しばらく歩いて次に現れた光景で、我々は度肝を抜かれることになる。
そこにあったのは、沼だった。沼があるだけなら珍しくないが、その沼には二階建ての家が一軒、まるまる沈んでいた。掘っ立て小屋などではなく、普通の立派な民家である。水面から1メートルくらいのところに、テレビアンテナが付いた屋根。透明度が高いので、頑張って覗けば門に掲げられた表札がもう少しで見えそうだった。多少傷んではいたものの、つい先日まで人が住んでいたかのようなリアルな家だった。
しばらくのあいだ、我々は言葉なく眺め続けた。
そのうち、ようやく口を開く気になると、これが何なのか話し始めた。家を建築するための資材を運ぶ道もないし、電柱もないから電気も来ないだろう。何より、なぜ沼に沈んでいるのか?
帰りのことはまったく覚えていない。ただ、このことは誰にも言わず、また来てこの謎を解こうという話になった。
しかし、子どもは子どもなりに忙しい。季節に応じた遊びがあり、新しい遊びが流行ることもある。4人で遊んでいても、なかなかあの場所を訪れる機会は来なかった。
どんどん時間は過ぎていき、メンバーは成長してそれぞれ好きなものができた。とっつぁんとオノダは本格的な野球、たくちゃんは漫画やプラモデル、俺は音楽(特にパンクロック)。みんな、好きなものが同じ友達ができたり、一人で過ごすことが多くなった。
いつの間にか、あのメンバーで集まる期間は過ぎ去ったのだ。楽しかったし、みんなのことを嫌いになったわけはないが、ずっと同じではいられないし、同じこともできない。
あの頃のことを忘れてしまいそうになるくらい、それからいろいろなことが起きた。あの時期が本当に大切なものだと気づいたのは、もっともっと長い時間が過ぎてからだった。
I never had any friends later on like the others I had when I was twelve.
Jesus, does anyone
(映画『スタンド・バイ・ミー』より)
とっつぁん:あだ名の由来はおっさんっぽかったから。本人は気づいていなかったが、頼りがいがあるからという意味もあった。高校野球の名門校の監督に声をかけられ、入学。そんな部員がたくさんいる中、レギュラーにはなれず。高校卒業後、行方不明に。
オノダ:本名は小野。ずっと会っていないが、現在は地元の経済界で偉くなっているらしい。
たくちゃん:たくは拓と書く。最近、数十年ぶりに会った。百貨店の部長。人当たりがよく、若々しくスマートで清潔感にあふれていたのでちょっと驚いた。
俺:昔から、音楽と読んだり書いたりが好きだった。前者は変わらないというかますます好きになっているし、一応後者を生かせるような仕事に就けたのはラッキーというべきだろう。