わたしにとっての自由とは
もっと自由になりたい!って思うとき、どんな風になっている自分を想像しますか?
お金に困る事なく、好きな時に好きな事ができる!
そんな状態が自由って思う人は多いと思います。私もそうです。
でも、見ていてこの人自由な人だな~、って羨ましく感じる人、魅力的に感じる人って、状況の面では、あまり自由でない場合が多いと思うんです。
パッと思いつく人で例にあげますと、例えば坂本龍馬。
この人かなりの自由人。でも、状況だけ見ると、現在の私たちの方がずっとずっと自由です。
当時は、身分階級もあるし、好きな時に旅行にも行けないし、好きな仕事に付けないし、変わった事をしようとすると命を狙われたりする。
そんな厳しい世界にいるのに、とっても自由な風を感じる人です。
きっと、みんな自由とは状況ではないって心のどこかでは分かってるんだと思います。
現代人に対しても同じように自由な風を感じる人って、その人の状況ではなく、常識というものが当てはまらないような精神性を持つ人に対して感じてるんだと思います。
だけど、自分の事となると別。
人に対しては、その人の心や発想に対して「自由」を感じるのに、何故か、想像上の自由になった自分は、状況のみの自由を想像し、心は今のまま。
なぜでしょう?
それは、「私」という枠の中から出られないから。
「未来」や「なりたい自分」は、「私」という枠の中だけで起こってる想像にすぎないと思うのです。
でも、実際目の前で起こる現実は、常に「私」の想像を超えて勝手に起こって来ます。誰のものでもない開かれたもの。
周りで起こる事って、思いも寄らないことばかりである上、自分の行動や選択すら意外なことが多かったりします。
その当時は分からなくても後で考えると、何故あの時、私はそんな行動を取ったのだろう?って思うこと多いと思います。日常でも「何となく」でしか説明できない行動をしてることが多いと思います。
世界も自分の行動も自分の意志を超えたところで常に起こってます。
予想不可能な現実と、想像や希望に合わせて生きたい自分。このギャップに抵抗するほど、生きることが苦しくなります。
「私」とは、自分の価値観であり、経験であり、アイデンティティであり、物の見方であり、自分にとっての当たり前、常識。その集合体。
なかなか上手く行かない現実を「私」に沿わせたいと頑張って生きると、起こる現実を重荷として捉えてしまい、そこに大きな不自由さが生まれるんだと思います。
なので、その「私」に捕われていない人に、自由を感じるんだと思います。
不自由さは常に「私」から起こる、そんな風に思います。
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