ひたむきに無心になることの大切さ
人間万事塞翁が馬
笑う門には福来る
好きなことばです。とくに塞翁が馬は、独立していろいろなことが起こるたびに、今も、励みと勇気になっています。
笑う門には福来るは、27歳の頃、卵巣嚢腫の手術をするとき、誓約書に書いた言葉です(笑)
誓約書に好きなことばを書く欄があったことに驚いた記憶があります。
あれから20年、無事に生かされていることが有難い限り。
人は何かしらの学びが必要だからこの世に生まれてきているので、
起こるできごとすべてが自分の糧になるんだと思ってこれまでやってきて、
それは今もそう思っていますが、それでもしんどいなってときはあります。
わたしのこれまでを振り返ると、もう無理かも??!!
やばいかもーー!!というときでも、なぜかギリギリのところで
救われてきたということが何度もあります。
そういういわゆるピンチのときには、さすがに塞翁が馬とか笑う門、とか
悠長に言っていられない状態のときだってあるのですが、
ただひとつだけいえるのは、とにかくその時その場を無心で必死にやった、
ということです。
なにも考えずというか、目の前のことを、ちょっとタイトルのようにかっこいい言葉でいえば、ひたむきに。
わたしの通常運転の言い方でいえば、必死の必死で。
それで。しばらくたってみて振り返ってみると、結局自分が思い描いた
とおりの結果になってた、ということや、ピンチだと思ってたんだけど
最悪の事態を免れて良い方向に行けたとか、そういうことがたびたびある。
そのときは、「望む結果」とか考えずにやっている気がする。
こういうことを思うとき、大昔に読んだある美容家のかたのコラムを思い出します。メイクとか美容についての連載だったのですが。
それはこんな内容でした。
「化粧もおしゃれも程遠いほどがむしゃらに何かにむかって没頭している時期、口紅1本買えなかったりまたはそんなふうに自分を構う心の余裕がないほどほかのことに夢中になったり、ならざるを得なかったり、とにかくそういうように化粧やおしゃれをすっかり忘れてほかのことに無我夢中になった時期を経た女性は、ずっと化粧やおしゃれを中心に生きてきた女性より、ある時期から急に化粧では出せない美しさを出すことがある」
みたいな感じでした。(記憶のかなたでわたしはそう解釈しています)
たしかこれを読んだとき、20代半ばだったんですが、とても印象的で、
いつもきれいな化粧品ばかり紹介しているその美容家さんを、また別の角度から好きになった瞬間でもありました。
こんなに美しい美容家さんでも、化粧やおしゃれを忘れた時期があったのかなと、思ったものです。
そしてそのコラムの示す本当の意味は、しばらく理解できなかったのですが、その美容家さんの年齢に自分もなってきた今、それが「無心になって目の前のことをやった先に見えるなにか」なのかなと、思っています。
損得など考えずに。
目の前のことに集中すること。
無心になって集中すること。
その繰り返しが、知らずのうちに自分を良い方向に連れて行ってくれるのかもしれないなと、今日ふと思いました(^^♪
みなさまご安全に、今日も素敵な午後をお過ごしください☆
ありがとうございます。