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社交辞令

社交辞令は必要?不必要?
って、白黒ハッキリさせるつもりはないけれど、、

私は社交辞令が嫌いです。

相手を褒めたり、本心とは違うことをサラッと伝えるのは悪くはないかもしれないけれど、、

心にもないことを盛り上げて、その気持ちもないのに相手を振り回すような行為はアウトです。(行為とは、思考、言語、行動です。)

いろんなシーンがあるのだろうけれど、
共感と社交辞令では、真逆の流れが生み出されてしまう。

その心理は一体何でしょう?
なぜ人は社交辞令という行為をするのでしょう?

「相手との調和」という名の自分を守る行為?
嫌な人だと思われないための行為?
妙な気の魔法使い?

なぜ?そんなに素直じゃないの?
なんで?

大人になりきれていない私が子供の時からふと立ち止まって考えてしまうなぞなぞ。

もっと大人になった方がよいのかしら?

人生そこそこ長く生きていると、
摩訶不思議なトリックに「ん??」と立ち止まる場面がよくある。

引き寄せられて崖から突き落とされるような行為は本当にいらない。

純粋に共感することを伝えたり、認め合ったり、高め合うことは素晴らしい行為だけれど、、
そうではない社交辞令の隠された欲求を観察しようとすると、、
その人の色が面白く観えてくる。

人は本当にユニークだ。

ハートはよくわかっている。
ハートの叡智を信頼していけば、面白いくらいにその色や流れが観えてくる。


ありがとうございます。

♾️愛と光の中で♾️

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