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太古の世界へ

インターネット老人会記事を見ていた。

おかしい、ワイの感覚ではそれはまだ「新しい時代」の話だ……

私が初めてコンピュータをネットワークに接続したのは、ニフティなどがまだ現役バリバリの時代の「草ネット」の頃。まだインターネット接続サービスはメジャーではなく、我々はモデムを使って28.8kbpsでピーガーピョンピョンとRAS(リモートアクセスサービス)に接続していた。無論通信中は電話代が掛かるので掲示板のログをダウンロードしたらオフラインでログを確認したし、画像データや謎の圧縮ファイルはダウンロードしてからオフラインで解凍した。
そう、野良のRASは電話回線接続なんで誰かアクセスしてる時は他人がアクセス出来ないんだよ!(ホスト側が電話回線複数契約してたら話は別だが!)
常時接続当たり前時代はWin98時代だったかなぁ? Win95発売時はワイまだパーツショップの常連時代で、Win98時代に店員してたと思った。で、業務端末はNT4.0で、それが故にWinXPとか95系ではなくNTベースの2000とか行ったんだよなぁ。

尚、稀にバグりまくっている人がいるが、Win95時代はそのままだとTCP/IPネットワークには繋がらんぞ。95はネットワーク使うためにNet OSみたいの別途仕込んでOS/2とかの鯖立てなきゃいかんかったの。Win98時代だと割合簡単にネットワーク構築できたし、95時代って皆が良く知るRJ45コネクタではなく同軸ケーブル使ったバス型トポロジー(10Base2がまだ猛威を奮ってたりしたはずだぞ。

で、この当時覚えたのがWindowsのOEMインストール。PPKディスクなんてのを作り、NECや富士通のPCみたいに初回立ち上げでユーザー情報とか入れる奴。
なんで覚えたかゆーと、店でオリジナルPC作って販売してたから。やり方は店に来てた某社の人に教わったが、あれやり方覚えたら楽なんだよな。追加ドライバーなんかもインストールCDカスタマイズしたら自動でインストールされるし。つまり下準備が出来てたら組み立ててCDとPPKディスク突っ込んどけば放置プレイでOS入った。当時は他店でも店員少ないとこはこれぐらい出来たと思う。(本来OEM版OSの一番美味しい部分ってこのPPKとかの作り方示したオプションディスクだと思うのだが、みんなあれ捨ててたよね……)

で、その後縁あって某上場企業にサポート担当として入社したのだが、そこでホワイトボックスPCやるなんて話があってね、ワイもいっちょ噛みしたいなーと思ってたら、「その道のプロがやるから平気」って断られたのさ。
プロかぁ。じゃー店の店員ぐらいじゃ関われないなぁと身を引いたのだが、よりにもよって日経新聞で販売開始予定日の報道された後にこの会社及び協力会社にOEMインストールのやり方知ってる人が(私以外)1人もいない事が発覚しましてね……(暗黒)

みんな、「誰か出来るやろ」と考えてたらしい。
この不都合が露見後にワイは脱出した。

結局ですね、HDDマスターは私が作成し、イメージデータは私の私物のSCSIバラクーダに入れて台湾直送(帰ってこなかった)、組み立ての不備を西浦和の倉庫でワイが是正し、後からインストールする事になったアプリを寒さ堪えて倉庫内でインストールし、オプションとして選んだDVDだかCDドライブが相性で動かないのもワイが対処(てか、機種選択し直した)

何をやっているのかね上場企業っ!
どーなってんだその道のプロ!

なんかいつの間にかプロジェクトの真ん中にいた、様な……案外ワイは(店員少ない店で修行してたので)フルスタックに近いエンジニアだったのであった。(真のフルスタックエンジニアなんてのは貧乏で極少規模の会社でしか育たんぞ。ワイなんか広告デザインやPop作成、Web管理人やらマニュアルライティング、ついでに海外出荷などの貿易関係実務までやらされてたかんな)

で、このぐらいの時期には2chがあったか出来たばかりかぐらいの時代でして、善良な私はぁゃιぃわーるどとかAT-J@panとかで遊んでました。わーいわーい、たーのすぃー(高く積まれた業務から目を背けて)

方針変えて、noteでの収益は我が家の愛犬「ジンくんさん」の牛乳代やオヤツ代にする事にしました! ジンくんさんが太り過ぎない様に節度あるドネートをお願いしたいっ!