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昨日日記「弁天の話」
あと3〜4話で終わるから、とりあえず穴部瑠璃の方を締めるべく書き書き。
で、話自体はアナベル・リーだから瑠璃と江戸川少年の恋愛譚なんだけど、主人公の修験者と「弁天」も、いわゆるバディとかだし、まぁまぁイメージ的にはシティーハンター味はある。そもそも修験者が韋駄天傾倒気味なのからも分かる通り、本来この2人はこれがイメージソースだ。
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だから弁天は足が遅いのである(原作準拠)
で、何気なーく弁天の本名を「お夕」としていたのだが、ワタクシめの脳髄がどーでもいいことに気付いてしまった。ポー。おゆう。ポー……おゆうー……
あ、Eulalie!
実のところ修験者はああ見えて超絶悟りを開いた聖人だから色恋沙汰とは隔絶した意識を持っているんだけど、別にこれは「執着は無い」だけで、愛情自体は存在する。(愛はあっても愛に狂わないだけである)
穴部瑠璃の隠しテーマの一つは「仏教を取り上げる小説は多いが、ガチに仏道を描いてる作品は少ない」という部分に対する挑戦である。神通を持ちマントラで超常の力を振るう修験者、可能な限り破戒僧にならぬ様作劇しようとしてる。
てかね、人名として三蔵が出て来たり(あれ、尊称ゾ)、ゴブリンだからって仏ビームで大虐殺は不味いべな。
世の中に、きちんと坊さんしてる話が少な過ぎる……これが穴部瑠璃とか室町サウナ時代劇「えん」を書いた理由ではなかったか。
ならば、仏教的に正しい?恋愛というか「愛」を描くのはチャレンジャブルではないかなぁ、と。
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