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ある企業の隆盛と没落1

むかーしむかし、ワイがまだパソコンパーツショップの店員だった頃の話だ。

ウチの店は品揃えが独特だった。
何故かと言うと、もともとウチの店は幾つかの資本先が出資しあって生まれたのだが、まず最初に出資先Aが潰れて、次に店舗経営してたBが夜逃げしたの。で、残されたCが資金回収しようにも店舗の賃貸前払金?ぐらいしか回収できるものが無く、その店を修理上がりのHDDの処分場(他店に卸すと500円/個とかになるが、直接顧客に販売したら1万ぐらいは取れる)かつ、仕入れたけど売れなかった商品を処分する為に店使ったんだわ。

つまり、儲けを追求するのでは無く、赤字を減らす為の店だったの。

つまり、売れない

いやまぁ、リースあがりのメーカーパソコン修理で修理上がりHDDは大好評だったし、他店に無いものがあると言うのは耳目を集める(金は集まらない)

それがたまーに、奇跡を起こすんだ。

それは、Intel 440LXチップセットがリリースされた直接に起きた。440LXはPentium ProやPentiumIIをサポートするチップセットで、フロントサイドバス(FSB)は60/66MHzをサポートする……まぁ、AGPがサポートされてることがウリで、それ以外は前世代の430HXチップセットと仕様が余り変わらん面白みのない奴だった。業界的にはその次の世代の440BXのFSB 100MHz時代を注視していて、こりゃあ440LX君微妙やなと感じたのを覚えている。

で、親会社から押し付けられた、よー分からんメーカーのマザーボードが入荷して、ワイが手書きで値札作ってた時に妙なことを発見する。

何故か、このマザーボードにはFSB 100MHz設定があったのだ。

自信を持って書けるが、これを日本で最初に発見したのは若き日のおじさんである。だって親会社の人間誰1人このマザーボード触って無いし、このメーカーと取引あったの当時親会社しか無いんだもの。そんな面白機能があったら朝のミーティング時に副社長(当時)のアカハナから「だから、高く売ってクダサイ」の一言があるハズだ。

で、実機確認してFSB 100設定があるのを確認し(当時はマニュアルに書かれてても実際には無いなんて良くある話)、赤字でFSB 100設定を目立たせて恭しく陳列した。ってか、値札書いてる時「よく取材には来るが挨拶も何も無く、サハロフさんの爪の垢煎じて飲ませた方が良さげな雑誌記者」が居たのを私は見逃していない。

で、案の定この基板はキワモノ好きな連中に捕捉され、割と売れた。また、某誌では実際に100MHz設定できるのかなどの検証記事が出た。無論、そんな1.5倍クロックなど通るはずもないのだが、設定があるってだけでロマンは輝くんだよなぁ(苦笑)

こうして、430HX時に最後の方のバージョンだけ割とオーバークロック出来るってんで、niftyの一部界隈にだけ知られていたAbitという会社は全国的に知名度を上げたである。Abitはワイに車の一台も贈るべきかと思う(笑)

で、続く440BXでやはりAbitはオーバークロック設定に特化したM/Bを出した。勿論初ロットはウチの店にしか入荷しないのだが、ウチの店で動作確認してアレコレ値札に書いたら人気爆発。

ウチの店は炭鉱のカナリアか?

更に次に安価なオーバークロックM/B出し、IntelがCeleronの300AっちゅーFSB 66MHzが定格なのにほぼ全ての製品でFSB 100MHzが通るCPU出したら人気が大爆発。

当時はパソコンの処理能力がかなり低く、FSB 100MHz設定はかなりキョーレツに処理性能を引き上げた。

大人気過ぎてウチの店にはAbit製品入荷しなくなった(涙) いや、どーかんがえてもウチの店で売った方が売り上げ的には良いのだが、月に万単位で売れる商品だったからなぁ。

ウチの店が商品の美点を見つけてパカパカ売ると、他店が追従してウチに供給されなくなるのは良くある話。そのせいで金曜夜に棚が2段商品なしになった時など担当営業に直電して「おめー給料日後の土日に棚空けて、どー売り上げ作れっちゅーんじゃ!」と叱りもした。
会社に在庫無いと、先読みして発注しといた店舗在庫まで引き上げるの辞めるだよ……

その後、まず店舗担当の部長が退職した。表向きは自分がやってた少年野球チームに専心して、のんびりカレー屋でもやるかなみたいなことを言っていたが、店舗スタッフとしては担当営業なのになんも仕事してくれない無能が消えてくれて万々歳であった。
部長退社後はワイが商品の価格推移データなどを駆使して仕入れ価格や仕入数を副社長に直談判、利益率は微増した。
こうして店が少しだけ改善して万年赤字から脱出出来そうな糸口が見え始めた頃……ワイは原チャリでコケて鎖骨骨折、入院1ヶ月した。
そして入院したら専務が見舞いに来て、退院したら本社技術部に移籍だと、こー仰る。

要は店舗経営の為に無理矢理押し付けられた商品のセールスポイントを無理矢理見つけ出しまくったのを見た経営陣が、店番やらすより技術部でセールスポイント模索させた方が良いのでは無いかと考えたらしい。しかしこれは休日出勤やら残業やらで店員として荒稼ぎしていたワイにとっては減収になるのである。(手取りが6万以上下がった!)
また、店で扱ってた商品が売れたのは、価格調査で主要店舗をくまなくめぐり、結果的に「今週のアキバでは何が買いか」を知悉する店員Nとしての私と、店舗常連客が私の情報をネットで拡散するラインが構築されてたのもデカい。
つーか私が店員してた最後期、物も買わずに私に質問して、お目当てのものゲットしたらお礼にHDDのマウント金具(ウチの店で一番安い商品)買って行くという謎の風習まで出来ていた。宛ら秋葉原案内所である。

で、本社技術部でサポートコールなどを受けつつ新商品検査などしていたのだが、ここに辞めた部長の穴埋めで新たな部長がやってきた。で、サポートコールの内容を記録せよという。なるほど、事例研究はいーこった。ワイと新人上長は新部長の深淵なる考えに賛同し、ならデータベース化してより効率良く……と提案したら、紙でいいから書いて積んどけという。いや、記録すると言うのは後から見返して……と話すも、そんな必要はないとの回答。

深淵すぎる(怖)

で、新上長(着任後1週間ぐらい)は理を愛しロジックに生きる生粋の技術者なので新部長と争い、その場でクビになった。が、労働基準法的にアウトで1ヶ月分の給与補填が必要なんだが新部長はそれを知らなかった。何故なら新部長は台湾人(かつ、某有名企業の偉かった人)で、日本の労働関係の法律知らなかったからや(しろめ)

で、1人寂しくサポートなどを行い、本社技術系スタッフ(皆、中国人だ日本語が下手だとバカにしていたが彼ら中国本土や台湾で工学とか電子回路関係の大学に学び、北京大学の講師としての着任要請がある程の達人ぞ)から様々な技術を学んだりした。ハンダゴテ握ってノートパソコン修理したり、新商品の不具合を的確な指示ですくさま改善する有能ぶりに感動したり…… いやぁ、見るべき士と言うものは結構雑にそこらに居るな!

で、3000文字くらい書いたがここまでは枕である。こっから先(多少の憶測も含まれるが)ちょっと余人は知らないアキバ周り裏話を書く。尚、本稿にある「本社」……東池袋にある商社はかなりアホアホでどーしょーもない事が数々起きているが、そのアホアホムーブをもう30年以上続けているので勃興も没落もしない。相変わらず佐賀県にタブレットPC大量納入して様々な問題などを引き起こしているが……在日米軍にどーしょーもないメモリを売りつけたりした事よりはマシだろう。

方針変えて、noteでの収益は我が家の愛犬「ジンくんさん」の牛乳代やオヤツ代にする事にしました! ジンくんさんが太り過ぎない様に節度あるドネートをお願いしたいっ!