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創作メモ 修験者の柔術その他

小手返しが出てくるのはバーチャファイターの影丸がイメージソースの為。柔術はお友達の鞍馬山の大天狗に手解きを受けました。つまり修験者は源義経の弟弟子に当たる。武蔵坊弁慶を二回りぐらい小さくして義経の技を加味してるんだからそらまぁ強かろう。神通力あるし。単純に怪力だし。使いこなせてないが。

実際日本の武術の源流を辿ると、大体が鞍馬山の天狗(鬼一法眼)由来である。鞍馬の天狗が牛若丸経由で京八流となり、そっから各派に分岐していくので、大体天狗が悪い。天狗の仕業じゃ。(まぁ、技の根幹をミステリアスにしたり、誰でも知る有名人が開祖ですみたいにした方が弟子集めしやすかったと言うコマーシャル重点がネ……)

一応相撲(古代相撲)とか骨法(これ、現代風に言うとコツとか要諦、ライフハック的な意味合いなんだが……)もあるにはある。まだ書いてなかったが、修験者と米のエピソードとして、村相撲の大会に出て、相撲知らないから周りの「うっちゃれー!」「投げろー」に対して「投げるんか?」で一回りデカい相手を肩に担ぎ上げ、下ではなく横に前ミツ取ってぶん投げた……なんてのを考えてはいた。

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天狗投げの原型である。天狗は怪力だからヒョイのポイーだが、後の柔術家は殺法として洗練させたである。力はパワーだがそこまでの力は普通人間にはない。
で、優勝して大八車に乗せられた三俵の米を担いで山に戻ると。周りが「天狗じゃ」とビビる中、修験者は「天狗は他におる」と返して周りが更にビビるとかね。修験者的には天狗は山のお友達感覚。

一応住まいは阿蘇山根子岳。「天狗の舞台」は実際彼の知り合いの天狗が酔っ払って神楽を舞ったりする。当地に伝わる鬼八伝説は1部この修験者が山の神?と戯れて遊んでた所を目撃されたものである。

鬼八の様な再生能力はないが、修験者は鬼八への供物である猪を有難く頂いている(三種の浄肉だからセーフ理論) 頂いたお肉の骨は丁寧に捧げられた場所に戻すので、割と地元住人は「鬼八がまだ生きてる!」とビビったりした。

修験者が伝説化しなかったのは、ひとえに「名乗らなかった、自分の名前をコロコロ変えた、と言うか忘れた」のが原因である。その為に彼の逸話は散逸し、他の「名のある存在」のエピソードとして吸収されてしまったのだ。天狗や神々、そして鬼は通常人には見えないので、大体あの辺の天狗伝説やら何やらは、名無しの修験者の逸話が基になっている。

本人は所謂神仙の域に達しているが、何と困った事に自覚が無い。彼にとって里は天狗も熊も神々も居ない「何も無いところ」であり、山にはほぼ全てがあると言うのは、半ばイモータルの世界に足を突っ込んだ超俗の神仙的な感覚に寄るもの。彼は世俗の人間を本来持つ「ちから」を喪失した不具者の様に見ている。もちろん彼も天狗や神々の様な異能を持っていないので、まだまだ修行が足りん!と考えているのだ。人の間で生きていたら、多少は増長したかもしれない。


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純戦士のおじさん
方針変えて、noteでの収益は我が家の愛犬「ジンくんさん」の牛乳代やオヤツ代にする事にしました! ジンくんさんが太り過ぎない様に節度あるドネートをお願いしたいっ!