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穴部瑠璃 原稿その3
修験者が仲間のキバだかキハだかの行者から話を聞いたのが3日前。ほぼ強制的に五穀断ちの修行をせざるを得なくなり、滝行のついでに沢で岩魚を狙っていたら、空気を読まぬキバだかキハに声をかけられメシを取り損ねた。(問題はない。キハはいい奴なので握り飯をくれた) そして山裾の湯治場で温泉に浸かっていれば忍び働きの口があるぞ、米もらえるぞと唆されて温泉まで降りてきた。何でも害意がないことを示す為に裸で命を授かるのだとキバは言うのだが、修験者は験力(本人談)により、素手で人の2〜3人は殴り殺せる。全く不可解な話だった。
「近頃領内で神隠しが頻発していてな……」お殿様はグビリと酒盃を仰いで言葉を継ぐ「お主の知り合いの天狗が攫っているわけではあるまいな?」
「いや、その様なことは」修験者は真面目に答えた。天狗岩に住んでいる烏天狗の「マタザ」は富士に住む叔父御の手伝いで今頃樹海辺りを回っている筈だし、この前まで遊びに来ていた鞍馬の大天狗は山に戻った。今この辺りに天狗は居ない。
小粋な冗談のつもりで話したお殿様は、修験者が真面目くさった顔で答えたので少々反応に困っている。まさかこの修験者に天狗の知り合いがいるとは思ってもみない。
「すると……伴天連だろうか?」
豊臣秀吉が伴天連禁止令を発した理由の一つとして、伴天連が日本人を奴隷として海外に売却していたという説がある。その数凡そ5万人。それを見咎めた代官が問い詰めた所、彼らは「売る奴がいるのだから買って何が悪い」と不思議な顔をしたという。伴天連禁止は今も続き、彼らとの付き合いは徳川の世では長崎出島でのみ許されていた。表向き奴隷売買は無いはずだ。ただ、接岸はしないものの伴天連の船が沖合に停泊することはままある事と報告を受けているし、神隠しにあったものが美男美女であるとも聞いている。
伴天連と言われて修験者は唸った。(何だそれ?) 片眉を上げて難しい顔をする修験者。それを見てお殿様はほうと相好を崩す。流石に耶蘇は嫌いか。ならば適任かも知れぬ。
牙行者にこの事を尋ね、荒事を頼まれてくれるかと依頼を持ちかけた際、牙は「私より適任がおります」とこの修験者を薦めた。験力においては……この部分だけ特に強調した牙はやはり良い人間である……験力に於いては役小角の次に此奴かと。荒事なれば一騎当千。朝鮮の役の時に居ればひとかどの侍大将を務めたでありましょうと。暗殺に長けて幾人もの不埒者を成敗してきた牙がそこまで勧めるのだからと脚を運んだかいがあった。
「よし、修験者。伴天連を探れ。彼奴等は領内の美男美女を拐い遠く印度で売り捌いている可能性がある。もしもその様であれば神仏の罰をくれてやれ」
美男美女を売り捌く……女郎や男娼だろうか? バテレンとは如何なるものか分かりかねるが、神隠しも何も神仏はその様な事をしない。悪事は大抵鬼や人間がするものだ。修験者は知らぬ言葉を彼なりに解釈した。まぁ要するに女衒を見つけて殴れば良いのだろう。修験者は静かに首を垂れて受諾の意を示す。早めに見つけて米を貰おう。神妙に首を下げる様を見て、殿様は愉快そうにかかと笑った。
忍び働きをするに当たり、殿様は従卒を付けた。監視役と言っても良い。女間諜でお夕と名乗ったが修験者は琵琶を持った男装のおゆうを「弁天」と呼んだ。弁財天に見えたからである。
(自分のものも含め)人の名前は覚えられないが、一応神仏の名ぐらいは修験者も覚えている。おゆうは弁財天に準えられて悪い気がしなかったが、何故と問うと後悔した。「いや、琵琶を抱えておるからだが」……この山猿が。
「いやいや、こんなにでかい猿はおらんぞ。山の兵八も背丈はこんなものだ」平然と修験者は弁天の心の声に応えたが、これは所謂他心通である。プンプン怒っている弁天はこの怪異に気付いていない。
やはり女性か……修験者は困り果てていた。殿様から命を貰ったはいいが、目付けの弁天殿の足が遅くて難儀する羽目になった。最初の半刻程度……いや、四半刻まではやかましい程であったが、一刻もすると目に見えて足が遅くなった。
普段天狗や山の鹿、猪と戯れている修験者である。験力や御仏の加護以前に足腰は非常識に頑健である。無論歩く修験者を走って追い抜けぬわけではない。ただ単に歩速が落ちず、休憩が不要なのだ。走って追い抜いてもいつの間にか再び抜かれてしまう。彼が歩く山は現代日本の一般的なレジャー用に登山道が整備された山ではなく、獣道や獣すら通らぬ山中。別に山道を避けて歩いている訳ではなく、修験者の住む辺りに来る人間は殆どいないのだ。偶に迷い込むものがあっても烏天狗がちょっかいをかけて追い返してしまう(そして天狗が出るとの噂でより人が近付かなくなる) 藪漕ぎも崖もない平坦な道など彼にとって家の中も同然だった。
更に言うと、修験者はその生涯の中で人と同道すると言う経験がほぼ無かった。数少ない経験も他の修験者などの同輩。故に里のものとしては驚異的に足腰が頑健な弁天が遅いのは女性だからと錯覚した。こんな歩きやすい道を難儀する理由が分からない。
なんとなく弁天が悲壮な気持ちで付いてきているのは分かる。彼は道端の杉の木の枝を一本山刀で切り落とし、小枝を払って綺麗に樹皮を剥がし、表面に小刀で韋駄天の像様を刻み込もうかと手を動かし始めた所で、止めた。弁天が髪を振り乱して凄い目でこちらを睨み、それを遠巻きに眺める数人の旅人を見たからである。旅人達は修羅場を期待していた。豪壮な山伏を男装の女性が髪を振り乱して(旅人達から見たら)驚異的な速度で追いかける。どう見ても酒の肴になり得る醜聞だ。心の中でチリンチリンと小さな鈴の音色が響く。彼が死地にいる時の神仏からの注意せよ通達である(社会的にヤバい時しか鳴った事はない) 彼は実際神仏に愛されている。
修験者は立ち上がると杖を弁天に手渡し何事か唱えた。弁天含めた聴衆が何?と身を乗り出した刹那に大声を上げる。
「六根清浄! 内外清浄! 貴様まだ修行が足りぬ。我は先に行く故後からゆるりとついて参れ!」
(縮地か?)との弁天の心の声に、縮地って何ぞ?と思いつつ修験者はまじめくさった顔で返す。
「これは神仏の加護でも験力でもない。ただの修行じゃ。足腰の鍛錬じゃ。その様な足では山で熊は追えぬ。鹿も追えぬ。兎すら怪しい。杖をやる故ついて参れ!」
修験者が熊を追う必要があるのか……当然過ぎる問いは修験者の迫力の前に霧散した。そして、修験者は……逃げた。先にも増して一本下駄で道を急いだ。彼女が目付けとして修験者を見張らなければならないと言う使命は無視した。修験者の行動に関しては神仏なり閻魔大王に尋ねれば良い。大体……まぁ大体彼は無実である。稀に勘違いによる問題は無いでもないが、概ね彼は修験者として並み以上、世間一般にも善人である。腹ペコで遂にはイワナやヤマメを取って食おうとすると絶妙のタイミングで取り損ね、三種の清肉しか食せぬ星の下に生まれている。
「そ……その調子では……」弁天は何事かを訴えようとしたが言葉は続かなかった。あの調子で歩いたならば宿場を通り過ぎてしまう。無論修験者は「雨が降る訳でもなし、野宿じゃ」ぐらい言いそうだが、実際には夜通し歩けば良かろうと考えていた。
現代でも千日回峰行で京都大回り84kmを100日間毎日歩く僧侶もいる。修験者にとっては平地(と言っても現代の基準から見ると幾分うねってはいるが)を走破することなど苦ではない。
突如修験者が戻って来ると、安堵の顔を浮かべた弁天にこう告げる。「ああ、長島郷に行くのでその様に」「……そ……そ……そこに……何か……あるのか?」「うむ、美男美女揃いの村がある。もし人攫いが出るならあの辺りであろう」
修験者は自信満々に答えた。勿論弁天も「傾国」の噂ぐらいは知っている。しかし、美男美女が拐われていると言う話の調査で拐われた人物の足跡ではなく、これから拐われるに違いないであろうとヤマを張る考えは無かった。いや、もしこれがたまたま美男美女が拐われただけで、攫う側には別に美男美女に拘る必要が無かったら……思案して息を整える間に修験者は彼方まで歩き去っていた。あの調子で海まで歩いて渡る気か。
弁天は案外簡単に修験者には追いついた。修験者は茶屋で湯漬け(丼飯にお湯を掛けただけのもの)を三杯平らげ、悠々と(薄めの)茶を飲んでいた。弁天を見つけると手招きして呼び支払いは任せ……まで告げた所で杖で叩かれた。無論弁天に、である。
【続く】
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