修験道他、宗教について

伝奇という嘘を尤もらしく書いて読者を騙そうとする詐欺師は、騙す為に最大限「本当に見えるよう」資料を当たる。
例えばあなたがどっかのニュータウン開発計画をベースにした投資資本詐欺をやる時に、場所は言えませんがとか某ゼネコンがとガバガバにガバいネタで話を持ちかけると詐欺の成功率は下がるであろう。キチンと清水建設がとか越谷のレイクタウン周辺がとか具体例を出して、「国が進めている旧利根川、荒川水系の洪水対策の一環で……」とか、「結果、よく水が出ることで有名で、地価が安かったが洪水対策が進み……」とか、ちょっと調べたら確かにそういう系統の噂話はあるぐらいの事をまとめて話を持ちかけた方が成功率は上がる。

で、なんぼやってもガチガチのガチの学者連中は騙しにくいが、偏差値50までの人なら騙せるなら人口の5割は騙せる。実例を挙げると最近漫画化されたらしい「転生七女ではじめる何ちゃら」は設定の練り込みが甘いし文章は酷い。アレでは偏差値かなり低い人しか没入できない。すると本の販売数量が減りメイクマネーに失敗する要素が増す……こういう事だ。
そも、読書を好む人は基本的には好奇心や知識欲が旺盛な傾向があり、文科省のテストでは点が取れなくても知性や知識は多い傾向があるだろう。彼らを騙すためにはかなりの知識を動員しないといけない。

と、前置きした上で穴部瑠璃の作中に出てくる修験道についてだが、実は私もよく知らぬ(おい!) 体系化され、整理された教義が文書化されてないからだ。更にいうと明治維新後の廃仏毀釈や神仏分離令で修験道は一回解体されてしまってるんじゃ。
この辺、日本の宗教観というか……国をデカくする際に近隣弱小氏族を吸収する手法を取るとですね、宗教部分を「習合」という形で混ぜるんですわ。これはギリシャやローマもやってるし、キリスト教でもそれはある。仏教だって密教とかはヒンズーの神々を取り込んでいる。

で、日本の神道は第一次的には普通に卑弥呼の時代のシャーマニズム(鬼道と言われてる)だったのが、天皇を中心とした国家体制構築のために「シャーマニズム+祖霊信仰」という形になり、そもそも天皇家が仏教を取り込んでいったので「シャーマニズム+祖霊信仰+仏教」と変わって行った。これを体系化して是認する為に本地垂迹とかが生まれたと。日本の国教とは、神道でも仏教でもシャーマニズムでもなく「これらが組み合わさり誕生したキメラ」なんだと思う。そしてこのキメラは地上に出た可視部としては其々仏教とか神道だったんだけど、不可視の地下部ではグネングネン絡み合って分離できない状態になっており……このグネングネンをそのまま掘り出したのが修験道ではないかなと。てゆーか、神道が神道として体裁整え出したの割と近年なんじゃ。そも明治以前はグデングデンのグニャングニャンで寺も神社も混じってたからな。

これをイメージ的に表したのが天狗であろう。

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そも、天狗って何やねん? 山伏の格好して神通力を持ち、坊さんの様な僧号を持つ……どっから出てきたんだこれ?(一応、容姿概略は日本神話のサルタヒコ、名前は中国古典からという推測はある)
恐らくは、古代大和王朝時代に帰順したか併合された氏族の祭る神様(サルタヒコの原形?)だったのだと思う。だから山岳信仰的な側面があり、概略としてはモノノケの類で「人に迷惑かける」性格設定された(キリスト教(中東地方における一神教系統)における悪魔が地方のマイナー部族の神格だったりするのと似てる)
これがしぶとく民間信仰として残り、堕落の象徴だから誰かが面白がって「堕落した山に住む僧侶」へのメタファーとして使ったらこれが定着した(僧号持つのはこの為?)。で、真面目な僧侶に対する堕落した僧侶というイメージから「真面目・堕落」の要素が抜け落ちて「僧侶に対抗」するイメージから「第六天魔王波旬」のイメージがくっつき、鞍馬山で僧侶にイジメられてた?牛若丸の味方として鞍馬天狗が現れたと。(大体天狗は反体制側。パンクじゃぜ)

よく分からないマイナーな神格から「民間伝承の過程で各人が設定追加を行い」、権能や性格が固まって来た所でメジャーな話に登場して一気に知れ渡り、イメージが固定された……こんな感じじゃないかと思う。

で、キャラクター造形が余りに秀逸なので、何でか仏教にも天狗設定が混入した。本来六道と言い輪廻転生で生まれ変わる世界は6つなんだけど、天狗様はどこの存在か分からない(そも、インドには天狗居ないからインド人は天狗の分類なんぞしない)から、日本では六道+1として「天狗道」というものがある。
色々混ざった結果として「本流」には何処にも居場所が無く、しかしながらどの本流にも影響を及ぼした「流転して、成長した古代の神格」が天狗なのだと思われる。そしてこの「どこの宗教本流にも属さない、明文化されない日本独特の宗教」こそが元々の日本の宗教観なんだと思う。だから外からは日本人が無宗教に見える。それには名が無く定義されていないから「無い」様に見えるだけで、名もなく定義されないけどそれは「無名の物語」ある意味では「無宗教という宗教」として存在している。

と、ここまで書くとご理解頂けると思うが、穴部瑠璃で修験者の名を設定しないのは「名もなき日本の宗教観」の顕現だからである。天狗と仲良しでありながら神にも仏にも仕える「修験道」を題材として、個人的に好きな「真言唱える古典的忍者」を描きたいなーなんてやってるのが本作な訳で。

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純戦士のおじさん
方針変えて、noteでの収益は我が家の愛犬「ジンくんさん」の牛乳代やオヤツ代にする事にしました! ジンくんさんが太り過ぎない様に節度あるドネートをお願いしたいっ!