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Biostarに数年越しで大感謝された話

短めに。

パソコンパーツショップ店員時代に、副社長が見つけてきたやったら安い440BXマザーボードを売ったことがある。

店の経営母体である東池袋商会(仮名)は台湾国内にも関連会社を有しており、日本の市場に参入したいが商習慣や日本語が不得手な会社にとって、すごーく商売しやすい相手だったの。多分この格安M/B製造してたBiostarも副社長アカハナに色々お願いして橋頭堡を築いたに相違ない。

日本と台湾、商習慣がそもそも違うというか、文化という基礎フォーマットが違う。それが故に日本製品の台湾進出も、台湾製品の日本進出も「昔は難しくあった」互いに互いの異文化を理解して許容し合わねば商売は成立しない……のだが、日本は日本国内で市場完結しがちなので異文化との交渉に弱く、異文化に対する寛容性に欠ける部分があるのな。
その様な文化の違いの緩衝材として、例の東池袋商会(仮称)も多少は機能していたのである。

で、時は流れて。
私は某春日部系パソコン企業集合体のパーツ販売会社でやはりサポートなどをしていた。その会社では何の因果かBioStar製品なんかも扱っており、ある年のコンピュテックスで彼らのブースを訪れる機会を得た。
で、そこで「BXの頃、店でお宅の商品売ってたやで。あの頃はウチぐらいしかお宅の商品扱わなかったけど、今はずいぶん受け入れられたねぇ」と話したら、物凄く感謝されて翌日お土産(ワイがサポート部署だから、POSTカード(パワーオンセルフテスト)を10枚ぐらい貰ったの。

(大体メーカーでは検査用ツールを自社生産してる。基板屋だから)
(偶にそれが外販される)

まぁ、ワイは別に特別何かした訳じゃないし、どっちかってーと副社長のアカハナが偉かった訳だが、なんか戦友みたいな感動があったかね?
取引先に初期の我が社の協力してくれたお兄ちゃんがおる!と言う事が知れ渡ったのか、その後BioStarは日本側の改善要求にマッハで神対応してくれる様になった。大変仕事がやりやすい。

それまでは……パーツ販売会社の専務が台湾人で、彼が文化の緩衝材だったから「何かBioStarに頼み事がある場合は」専務をCCに入れて、こちらの要求を送った後に専務から「うん、これは重要だから対応宜しくね」と支援射撃してもらってたの。専務も自分の一言がどれだけ重要か理解してたし、私はその影響力を最大限利用した。
しかし、私がコンピュテックスで彼らから謎の信頼を獲得してからは、専務の援助が不要になるばかりか、新製品開発の際に代理店側が楽になる様に、また日本の市場に合致する様にカスタマイズしてくる様になった。そこで扱ってた大手A社(大体本社の意向を文化の差を気にせず押し付けてくる)とは雲泥の違いだ。

BioStarの連中は日本語を解さなかったし、日本の文化も正確には理解していなかったが、異なる文化がありそこに合わせる重要性を理解していた。
大手A社はその異文化を理解せず、自分たちは大手だから周りはそれに合わせるべきと勘違いした。より正確には大手A社の副社長は「相手に併せて変化すること」の重要性を理解しているのだが、その下のイエスマンどもはその真意を理解せずに「副社長のことば」を文字通り履行する事に専心した。

尚、大手A社の最精鋭はOEM生産受託営業部で、この人らはガチで凄い。日本語ビジネス書を顧客理解の為にライン引きながら読み込み、ニュアンスが掴めない部分はネイティブ日本人であり他部署の人間である私にまで確認していた。無論彼らは感性がほぼ日本人であり日本企業との協業もスムーズである。連中の机には使い古した辞書があるが、パーツやノートパソコン販売チームの机にはそんなものはない。
これ、出来る人材とアホを見分ける凄い簡単な方法だから覚えとくといい。

言語は相互理解に役立つが、あくまでツールで「言葉が通じる事」は然程重要ではない。心が通じて「同じ方向」を見ることが出来たなら、言葉が拙くとも意思疎通は出来るのだ。

尚、このパーツ販売会社の専務は元東池袋商会(仮名)のOBであり、ある意味で私の先輩だった。

方針変えて、noteでの収益は我が家の愛犬「ジンくんさん」の牛乳代やオヤツ代にする事にしました! ジンくんさんが太り過ぎない様に節度あるドネートをお願いしたいっ!