創作メモ 海上鬼祓い
「不味いな、鬼が憑いていたか……」
修験者は呟くと峰から降りて、素早く褌姿になった。「六根清浄、六根清浄……」まだ海で泳ぐには早いが、水垢離だと思えばまだマシだ。沖合に向かう船を追い修験者は泳いだ。その速度はかなり速い。
「乙姫様に、お届けものじゃー!」
威勢の良い権蔵の掛け声と共に簀巻きにされた若衆が投げ出される。ドボンと音を立てて海中を行く若衆を褌姿の修験者が捉えると、修験者は首を押さえつけて手早く若衆の意識を刈る。無駄に暴れなければ暫くは保つだろう……縄を解き(というか力任せに引き千切り)、袂に入れられた石を抜く。船はもう陸に戻る様だ……注意深く水面に浮上して若衆にカツを入れる。「暴れるな、見つかると次は本当に死ぬぞ」
若衆の咳は幸いにして波音に隠れた。修験者はジッと若衆を注視する……「ここか」
鬼……その概念は古代中国から伝わった。元来は鬼とは明確な姿を持たない悪霊や病魔(オヌやオンという古代日本語における「不可視物」の意が鬼という字に当てられたという説がある)などを指していたのだが、伝来過程で丑寅という方位学的な要素が何故か牛の角と虎皮の腰巻きに化けて、いつしか鬼は実体を持つ物の化と変容した。無論修験者が言う鬼とは前者であり、後段の話は修行の邪魔をしに来る鞍馬の大天狗が邪魔ついでに語った話だ。
天狗は概して物知りで、しかも教えたがりである。六韜などにも通じているので僧正坊は多分唐国にも行った事があるのだろう。或いは遠い昔、人間だった頃に遣唐使だったのかもしれない。その長寿で溜め込んだ知識を吹聴したくて仕方ないのだが、通常人間にはその姿形が見えないので、見えるものを見つけると「こちらの都合を考えずに」要らぬ豆知識を披露しに来る。勤行中でも飯の最中でもお構いなしだ。鬼に関しても「どうせお前らは知らんと思うが……」と聞いてもいないに性質やら駆除法やらあれこれ余計な知識を吹き込んでくる。これでは釈尊の邪魔した魔羅だ。(案外、魔羅も天狗と似た存在かもしれない)
修験者は世間知らずであるが、記憶力や把握力は悪くはない。かつて仏道も学ぶ身であるに般若心経をド忘れしたなどの失態はあるが、それは写経や読経を大天狗に邪魔されたからであると言えなくもない、様な気もする。その修行の邪魔をする無駄知識が役に立ってしまった。
若衆には鬼が憑いていた。今の修験者にはそれが陽炎めいた空間の揺らぎとして認識できる。祝詞を唱えて引き剥がす動作をするとそれが剥がされ、霧散していく。目を凝らして宿命通を発動させても若衆の過去は暗闇に閉ざされたままだ。大天狗や菩薩ならば封を無効化してその先も見通せるのかもしれないが、修験者ではその先は見えない……まだまだ未熟!と修験者はほぞを噛んだ。
えい!えい!と芝居がかった声をあげ、引き剥がす動作をすると若衆は次第にぐったりした。修験者が験力任せにグイグイ鬼を引き剥がす際に、ちょっと余計なものまで引き剥がし過ぎたのかもしれない。泳いで連れて行くにはおとなしい方が都合が良いので修験者は気にしなかった。大雑把な生き物なのである。なぁに飯でも食って一晩寝たら大体治る……修験者は修験者以外は修験者ほど頑強に生まれていないと言う事を知らない。
酷くやつれた若衆を背負い、修験者は瑠璃の家を訪ねた。この家の婆が存命中は良く訪れていた家なのだ。婆は今回目出たく極楽行きが宿命通で見えていたにも関わらず、請われて経を唱えたのだが……それが先に述べた般若心経ド忘れ事件である。その失態をいい感じで誤解して助けてくれたのが幼き日の瑠璃なのだ。
瑠璃の家を見張っていた弁天が慌てて飛び出してきて合流する事になったのだが、忍び仕事なのに全く忍ぶ気がないとどやされたのは言うまでもない。
修験者は人の名を覚えるのは苦手だったが、向けられた好意や窮地を救ってくれた人々の恩義は忘れない(勿論、名前は抜け落ちるのだが)
「ここ娘の事ならこーんな小さい頃から知っとるぞ」
「瑠璃殿は一寸法師のご親戚か?」弁天は修験者が右手で僅か一寸程度の長さを示した辺りでぶっきらぼうに突っ込んだ。実は嫁御が懐妊してるぞと婆に教えて吃驚させたのがこの修験者である。彼の神通力は僅か一寸程度の大きさだった瑠璃すら見通せたのだ。次第に腹が膨れる様を見て婆は修験者の験力が本物であると確信し、折に触れて祈祷をせがんだ。娘と聞かされて多少落ち込んだが、美女になるぞ、侍に輿入れするぞと伝える度に険が取れて良い顔になっていった。その様な経緯が無ければこの世間知らずが長島郷という地名や美男美女がいると言う噂を知るはずが無い。そして修験者を信じて徳を積んだから婆様は往生出来たのだ。
弁天はこの話をそこらの修験者がやる様な大言壮語として受け止めた。事実修験者や山伏の中には験力も無いのに偉そうな事を言うものもいる……大体徳高い行者は忍び働きなどしないだろう。誠に以て正論だが、困った事に修験者は何一つ嘘を吐いてはいない。
「でだ、この若衆が鬼に憑かれておったんだが……」
「鬼って、これか?」弁天が頭から人差し指を2本突き出す仕草をする。鬼に対する講釈が必要らしい。講釈を聴いて弁天は「修験者らしい所もあるのだな」と感心したが、天狗とお友達であるとか鞍馬山の大天狗の下りはまたホラ吹きおってと馬鹿にした。源平の昔なら分からんが、今は徳川の治世だぞと。
「まぁ、それはともかくとして、鬼とやらは勝手に人に憑く物なのか?」
「古戦場や恨みつらみが募った場所に居ればな。後は陰陽師が呪って憑けるか……」
「じゃあ前者か。この先は島原だ。伴天連連中の怨霊だろう」
「……なんじゃそれ?」修験者は天草四郎の乱を知らない。
「……知らんか。まぁそりゃ知らんわなぁ。10余年前に耶蘇の連中が一揆を起こしたんだ。随分耶蘇の信者が死んだ筈だぞ」
むぅ……と修験者が唸る。ただの怨霊が宿命通の障害になるだろうか。何らかの術を使わねば遮れない様な気もするが……勿論弁天は「神通で見通せなかった」と言うのは与太であると信じている。修験者も神通力持ちである事を彼女に信じさせる必要を感じていない。大体皆信じないのだ。まともに信じたのは死んだ婆様を始めとして5〜6人しかいない。しかもその内2人は天狗である。他人に見えないものが見えると言う事を証立てるのは難しい。人は見えたものを信じる。