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魔王アギの七日間

 秋山聡《あきやまさとし》は少々夢みがちな所はあったが、比較的成績も良く社交的で、それ故に特徴も余りない平凡な高校2年生である。取り立てて正義感が強い訳でもなく、首都圏には含まれるものの中学生は自転車通学時に白いヘルメットを強制される程度の田舎住みであり、月に一度K谷駅中のKまざわ書店で年頃の子供が好むラノベを買う程度の、普通の少年である。
 それがどうした事だろう! 朝、目を覚ましたと思ったら、薄暗い地下室の様な場所にいた。訝しんでいると何者かにより--僅か数秒後にはそれがジオーネという名の神格である事を強制入力されるのだが--頭の中に膨大な知識を詰め込まれた。異世界に行く。今の自分は本来の自分のコピーであり、元の世界に居場所がないどころか、身体すらなく戻りようがない事。今の自分はこの世界の上位神により選ばれ、ジオーネに捧げられた供物であること。ジオーネの望みは異世界における敵の打倒。自分は魔王適性者であること--
 少々テイストは異なるが、いわゆる異世界移転ものだと理解できた。それを思い浮かべただけでジオーネは記憶を捜査して「概ね正しい」と請け負う。ただ、どうも移転先は魔物が人間の様に生活しており、人間が制圧された後の世界であるらしいこと。転生者以外にも強力な存在は居たが、いわゆるチート能力が無効化されてかなりの弱体化をされていること、そして、自分にもチートは与えられない事を知った。
 僅か瞬きする程度の時間で、上記以外にも地理や歴史、言語、魔法知識、召喚儀式……ありとあらゆる情報が頭の中でスパークする。大体この手の話では、段階的な説明の為に主人公は前提知識無しで異世界に放り込まれるんだがn「非効率だ。こちらで情報を焼き付けた方が早い」ジオーネはせっかちというか、何というか……効率厨だった。厨房の意を理解したジオーネは少し不服そうだったが、やはり大筋で間違っていない事を認めたらしく、次のタスクに移っていた。
 魔王適性者なら魔物を支配するのかと尋ねると、違うという。戦略目標は魔物の討伐及び魔物社会の制圧。制圧し、支配して従えれば良いという。ゲーム的な世界であるらしく、能力は脳内にコンピュータゲームの様に表示される。レベルはまだ1だ。ジオーネはスタイル(まぁ、RPGにおける職業の様なものだ)を決めろという。魔法使いか、戦士か、策士か--選択肢は無数にあったが、オーソドックスに魔法使いを選ぶ。魔法使いと言っても魔王なので、身体能力は最終的に並の冒険者なら一蹴できる程度まで上がる。ならば魔法で雑魚をまとめて倒したり、状態変化の呪文を使いつつ手下を使って戦う方が楽だ。ジオーネはスタイルが決まると何やら魔物を召喚した。レベルを上げる為に敵を倒せという。グロテスクな造形に少しビビリながらも、ゲームで良くある火球や電撃、鎌鼬で攻撃するとあっさり死んだ。なる程、ゲームをVR風にやるとこんなか。
 次々と「動かぬ敵」を倒し続ける。ある程度までレベルが上がると範囲呪文を利用する様求められ、8体、16体、32体と数を増やしながら効率的に経験値を稼ぐ。レベルが上がりにくくなると、今度は敵を固定せずに「戦闘経験を積め」と促される。能力値が上がるとも、使いこなせねば意味がないと。
 人間大のカマキリを見た瞬間、週刊チャンピオン連載の漫画を思い出して笑ってしまったが、笑いは直ぐに凍り付いた。速い、速すぎる。風は囁きかけず、その速い動きに自分が対応出来る事にも驚かされたが、カマキリ本当に強い。ジャブの様に繰り出された鎌が身体のあちこちを狙うがギリギリかわせていた。恐らくはジオーネ氏が「ギリギリかわせる程度」を選んで召喚しているのだろうが、余裕なら全く無い。どうやって間合いに入るか考えていたら、ジオーネさんから「魔法はどうした」との督促。そう言えば魔法使いだった!
 魔法の蜘蛛の糸マジカルウェブで動きを阻害して距離を取り、氷の矢で凍らせて殺した。虫の焼ける匂いは勘弁して欲しい。ジオーネさんは何も言わずに次なるモンスター、次のモンスターと矢継ぎ早に敵を召喚する。なんかこういう異世界転移ものあったよな……と考える余裕が出てきた頃、初日の訓練は終わった。ジオーネさん曰く「レベルアップ毎に魔力が回復するので経験点を考慮し、アキヤマの呪文の選択を加味して敵を選んだ」のだそうだ。尚、アキヤマでは4バイト分無駄な為、アギの名をジオーネ様から授かった。魔王アギの誕生日だ! この手の物語に出て来るポンコツな女神風情よりジオーネ様は優秀だ。

01:他者の命を絶てない。消去《デリート》 
02:チートを欲しがる。消去《デリート》
03:戦闘時萎縮。トラウマあり。斥候転用。
07:女神を要求。保留《キープ》
09:脳が耐えられない。消去《デリート》
12:脳が耐えられない。消去《デリート》
14:女神を要求。保留《キープ》
15:泣き出す。消去《デリート》
16:心が壊れた。消去《デリート》
17:レベルアップ作業中にファンブル。保留《キープ》
20:戦闘時萎縮。消去《デリート》
 考える《《いとま》》を与えずまくし立てる方向で大体の被験者は1番の難関である他者加害をクリアした。性向はともかくスペック未達が厳しい。03を改造して明日から敵首都状況を調査する。

 二日目はダンジョンの散策の模様。剣を渡され常に剥き身で持つ様指示を頂く。同じ剣を持つものは味方だが、だからといって襲われないとは限らないとのこと。では逆に「襲っても良い。ただし現時点では無意味」ジオーネ様はこちらの意図をすぐ理解してくださる! そう言えば腹がへ「食らうなり、犯すなり、生気を吸うなり魔力を食らうなりで補給可能。《《為したいことを為せば満たされる》》」魔王らしくなってきた!
 どうやら敵を倒すだけで満たされる模様。焼き殺した鳥の魔物を食すも美味くはない。戦いは基本的に待ちに徹し、こちらが姿を捉えたら魔法を遠投することで安全に倒すことができる。魔法の投射距離を呪文の変更で変化させられるのは感心した。呪文は全てが意味を持ち、意味を理解できればカスタマイズが可能なプログラムの様な構成をしていた。試しに威力を減じて精密射撃をすると、肩や腰なら確実に、肘より先や膝より先は多少外すが大体は命中させることが出来た。敵の中には仲間を呼ぶものがあり、精密射撃で一部を欠損させると辻々からわさわさと寄って来る……そして寄せた所で火球で焼くと面白い様に経験点が手に入る。
 大きな呪文を連打したせいか巨人的な魔物が寄ってきたが、大きいだけのカモだった。精密射撃で頭を狙い撃ち。ズズンと倒れる様が心地よい。しかも美味い。経験も倒れる時の《《恐れ》》も、その魔力も。力の昂りの余り馬の姿をしたセントールの様な敵を殴り付けてみたが、一発いいパンチを貰ってしまった。しかし殴りつけてきたセントールの方がこちらの動じなさを見て怯える始末。彼には敬意を表して消炭になって貰う。
 その日の終わり近くに同じ剣を持った仲間に会うが、馴れ馴れしく肩を叩いて来たのでそのまま焼いた。炎に包まれキョトンとした間抜け面をしていたのが面白かった。流石に仲間は頑丈なのだろう。威力を10倍まで跳ね上げた炎の柱を当てたら炭化した。余を誰だと思っている? 経験点的にも一番美味かった。

04:よく分からない理由で05を殺す。要注意
05:訓練中に死亡。不用意に近付き過ぎ。
06:敵を使役して操り始める。有能。
08:魔力枯渇に気付かず。消去《デリート》
10:順調
11:訓練に飽きる。保留
13:楽しみ過ぎるきらいはあるが、順調
18:19とタッグを組む。保留
19:18とタッグを組む。保留
 18、19は要経過観察。04と05の様に寧ろ殺し合うぐらいが望ましい。レベルは順調に上がっているが、魔王だと言うのに自覚が無いものはどうしたものか。何をしても良いと伝えたにも関わらず、元の世界の倫理コードをなぞってしまうものに魔王の適性はあるのか。
 王都に紛れ込ませた03がこの世界生え抜きの魔族配下と接触。躊躇なく襲って来るのは大変に有望だが、利用価値が余り高くなさそうなので高度な精神操作十字キーとABボタンして屠った。その魔族の残骸を憲兵に差し出して縁を作る。03は冒険者ヒミカとして継続運用。

 三日目、ジオーネ様の指示は召喚術の訓練。魔王の玉座に座り、思考の領域に手を突っ込み、適当なデーモンを捕まえて、魔力を与えて受肉させる。ざっくりと書いているが、行っている操作は殊の外難しい。魔力を与える過程で急速に注ぎ込むと暴走する。それより速いと爆発し、遅いと舐められるのか噛み付かれる。適度な強さの物に畏怖を与える程度に素早く魔力を注ぎ込み、心身共に隷属させる。ただ力任せにやれば良い訳ではなく、引き寄せたデーモンの種別やランクに応じたアレンジをしなければならない。魔王アギとしての臣下はいくつか試した結果、直接戦闘に向いた種族を身体強化系統に振った形でカスタマイズするのが最適な模様。前線で敵の相手をさせ、背後から魔王の力で個別撃破。精密射撃呪文と相性が良さそうだ。あと、出現させる座標を召喚の場から離すのは大変重要だ。儀式中に寄ってきた臣下が攻撃してきた。教育が十分では無かったか、召喚に興じてこちらが隙を見せてしまったか。
 召喚すればするほどレベルが上がる。強い個体程経験にはなるが、時間がかかる為効率的にはどっこいどっこいか。先に出したものほど相対的に弱くなってしまうので、後から出した物に始末させる。殺したとしても所詮現世では影の様なものだ。その影を形作る力を与えたのも余であるから心痛は無い。

04:エリート部隊を形成しようとしている。順調
06:雑魚を大量召喚の後、司令官を立て組織する。面白い。
10:召喚された魔族に殺された。アホか。
11:楽をする為には苦労を惜しまぬ性格。機能や能力を組み合わせて部隊を作る。面白い。
13:召喚する度に戦って殺す。頭は悪そうだ。
18と19は別メニューで酒池肉林で淫猥を愉しませ、理性を取り外すことに腐心した。現時点では保留中。
 03こと冒険者ヒミカに探らせている王都には魔王が降臨していた。実際に王になった男が事もあろうに国民皆兵を宣言、不要な子は捨て、7つの幼子から兵隊として教育し、兵に向かぬ国民は二等国民--早い話、奴隷だ--にすると言う。正に魔王であり、こちらにスカウトしたいぐらいだが、英雄の神気を帯びていると言う。しかしそれを感じ取れる者も信じられる者もなく、王都から逃げ出すものが大量に出る始末。全く持って理解不能だ。

 四日目、至高神《ハイエスト》ジオーネ様より世界法則の講義を受けつつ召喚。ながら作業は非礼かと思ったが、マルチタスクの重要性と効率的な動きの重要性について3秒ほどお手間を取らせてしまった。3秒ほどの間に賜ったお言葉は2GB相当である。相変わらず召喚すればする程レベルが上がるので、召喚しながら魔物の適性や戦い方を観察して戦術を組み立てる。至高神ジオーネ様によると、現在新しい世界法則として「敵側が栄えれば栄えるほど、反動で魔王が強くなる」と言う力が働くらしい。現状では敵方の方が勢力としては大きいので我々魔王の力は最大化しているが、敵はそれに気付いたのか戦力を分散している。そこでジオーネ様は我々を各地の古い遺跡--お馴染みのダンジョンだ--に転送し、そこで敵の冒険者どもとダンジョンマスターごっこをして「敵の戦力を適宜上げてから」精鋭部隊で指揮管制系統を破壊し、一気に敵首都断首作戦により支配下に置く--この様な計画を立てていらっしゃる。ダンジョン深層で敵を待つ魔王、いいじゃないか! 実にオーソドックスなスタイルだし何より魔王らしい。軍勢を率いて戦うのも悪くないが、やはりダンジョン奥地に座して待つのが魔王だよな! 至高のジオーネ様からは、気が熟すまでは大きな動きは見せず、指示があれば直ぐに動く様申し添えられている。
 断首作戦。某戦記でやられていた敵地縦深戦術。ならばある程度の強さの魔族を一定数召喚し、ラグビーやアメフトの様に突っ込ませるか……

 04、06、11は順調だが、後はダメだ。理性が飛ばないか、飛び過ぎている。
 テスト用に04、06、11と対峙させる。魔王の判断次第では配下にしても良い。レベルは06オヅが魔力残量をうまく調整してギリギリまで使い切っている為、一番伸びが良い。04アギは反乱に備えて魔力温存策を取っているが、これはこれで良い。注意深い事は魔王の権威を損なわない。11イゲは個体戦力ではなく部隊単位での性能を最適化する方向で調整を行なっている。レベルは75〜80で多少のバラつきはあるが、辺境地方の平均レベルから考えて、アギとイゲを支城に、オヅを敵最前面に配置予定。
 オヅが残る3体を引き取りたい、だと……まぁ良い。使いこなしてみよ。それなりに育っているので悪くはあるまい。

 五日目。模擬訓練が行われた。交戦規則《ルール》はただ一つ、敵首魁を殺さぬ事。至高神《ハイエスト》からの指示はただこれだけ。我は手勢を率いて指示のあった場所で待つ。
「魔王ブジ、推参!」
 大仰な奴だ。隠れもせず手勢を率いずとは殊勝だが、我の敵では無い。手勢を仕向けて雷電落としの呪文を詠唱--くら……わない! 手勢は一蹴され、ブジは一直線に駆け寄ってくる。--戦士タイプか。《《駆け寄って来る》》か。浮遊の術レビテーションを唱えただけで近付けなくなっているのだが、阿呆か? 浮遊したまま凝縮した熱弾を面白半分に打ち込む。避ける、避ける。喚く、喚く。いや面白い。相手が浮かぶという事は考慮していなかったのか。バカに魔王の名は要らぬ。身体能力やその武技は我を圧倒するのだろうが、当てられねば勝てぬ。熱弾を火炎球に変え範囲攻撃を加える。強がるがみるみる身体に焦げ目が付く。即時強回復《リジェネレーション》の能力もある様だが、抵抗《レジスト》に失敗する毎にブジは無口になって行く。奴が片膝を着くと同時に奴の姿は消えた。至高神《ハイエスト》ジオーネ様が勝負を判定されたのであろう。全く以って無駄な時間であった。

 アギ、イゲ、オヅの三名を魔王とし、本日魔王としての権能……判定乱数の上方修正能力を与えた。現時点で補正は各魔王毎に+5まで低下しているが、西と東の迷宮に魔王が現れたとなれば敵も首都方面に再集結するだろう。
 首都といえば、本日赤子の体力測定が実施され、かなりの数の赤子が捨てられたらしい。夥しい量の母親の涙と絶叫が王都に溢れ、宛ら地獄だとヒミカからの報告があった。次は七歳児の体力測定か、また悲鳴が王都に満ちるのであろう。結果的にはこちらの修正が更に低下するという事になるのだが、敵ながら何を考えているのかよく判らない。あちら側に勢力の多少による乱数補正の話は伝わっていない筈なのだが。

 六日目。西のダンジョンと呼ばれる古い神殿に転移し、最深部に玉座を据える。今日からこの地を我が支配して、覇権を握るための橋頭堡にするのだ!
 とは言え、昨日ブジに手下を屠られてしまい、今は部下も居ない。幸いこのダンジョンには召喚室がある様なので、そちらに強目の魔族を召喚して備えよう。距離が取れるので多少強めのものを出しても構うまい。直接戦闘能力高めで魔法も火球程度は扱える魔法戦士的なものにしよう。至高神《ハイエスト》ジオーネ様に拠れば、この地では大型のモンスターが存在する為、中級以上の手練れは屋外探索が主でダンジョンは中級未満の若手がメインで攻略しているとのこと。最深部の我が謁見の間にはまず敵が来る事はあるまい。ここで手勢を整えて……
(いいのかい、あんた。それがあんたのやりたい事なのかい?)
--至高神《ハイエスト》とは異なる声が脳内に響く。何者だ?
(俺は、問う。いいのかい、それで……)
「気にするな。力無き忘れられた神の残滓だ。奴に思考はない。権能も知識もない」おおジオーネ様、我が至高神《ハイエスト》! そうだ我には至高神《ハイエスト》の加護がある。悩む事なく覇業を進めればよい!
 空間座標を確認し、召喚の間に意識を集中する。配下のレシピから逆算して一体当たり3時間程度。この地方には中級クラスが十数名しか居ないという話なので、2日間16体も準備したら余裕を持って攻略できるだろう。その後にその他雑魚を蹂躙する為の魔獣を召喚して《《徐々に》》駆逐して行けば良い。戦いの中で敵も成長するだろう。野に魔獣を放てば中央王都に逃げ込む者も出るだろう。全ては至高神《ハイエスト》ジオーネ様の御心のままに……

(いいのかい? 信じ切ってしまって)
(いいのかい? 自分で調べなくて)
(いいのかい? 他人の言いなりで)
(いいのかい? いいのかい? いいのかい?)
(ジオーネはいいんだけど、秋山聡はなんて言うかな?)

〈名もなき古代神の呼びかけは虚空に消えていった。他人の舟に乗るものには、自分で行先を決める権利は無い。アギは魔王アギではなく、ジオーネの手先--自ら確認する事なく指示を遂行するだけの駒になった--〉
 《《自分の人生を生きる》》というのは、存外に難しい。それが自分のものであるからこそ、人はハズレを引くことを許せない。どうしても有利になびき、不利に背を向け--好きな道ではなく、間違いのない道、確実な道、予想できる道を選んでしまう。自由に好きな道を行くにはリスクが伴い、リスクを回避したいから自由な道を選べない。誰が魔王アギの選択を責められようか。
 普通であれば、秋山聡の選んだ道は堅実なものであった。嗚呼、彼が混沌極まる「この時代」に転移していなければ!
 そして、魔王アギの最後の日が始まる。


 七日目。静謐なダンジョン最深部。恐らくは古代の墳墓であり、人の旅路の行き着く先。かつては精緻な彫刻を施されていた石像も、今は見る影もなく、その顔《かんばせ》を愛でる者はない。
 中央で一際《ひときわ》大きく美しく刻まれた女神像を魔王アギは一瞥して、破壊の呪文ディスインテグレートを唱えて破壊した。この世に神は一柱で良い。久々にスカッとしたが、何故このような無駄な事をしたのだろう? 至高神《ハイエスト》ジオーネ様は無駄を好まれない。何故そうした? 何故愉悦を感じた?
 思考の領域の存在たる魔族は疑念を抱くと弱体化する。信念の力を弱めてはいけない。魔王アギは雑念を振り払うかの如く召喚に専念する。
(いいのかい、それで……)
 力無き声に裂く余力は無い。強い魔族を、より強い魔族を! 勝てば良い、勝てば良かろうなのだ。至高神《ハイエスト》ジオーネ様の意のままに! あの方の意に従えば勝利は確約される!

 一部の読者はご存知のように、魔王アギはこの後に滅ぼされる事になる。何が悪いのかと論じる方もいらっしゃるだろうが、敢えて申し上げれば運が悪い。全ては僅かな、それでいて結果的には致命的な運命の力だったのだ。
 確かにこのダンジョンは《《以前は》》初級者がランクアップを目指して最深部を目指す場所であった。しかしジオーネや魔王アギが召喚されるきっかけとなった「変異の日」を機に、以前の経験が役立たないと悟った冒険者は、新しい経験を積むべく《《初心に立ち返った》》。ジオーネ達はそれ以前のデータを参照にしたが、彼らは過去のデータを《《捨てた》》。それ故にダンジョンには冒険者が溢れ、この地域でトップクラスの冒険者たちもダンジョン中層部に集結していた。
 次に、召喚の間だが……大変間の悪い事に、二体目が召喚されて間もなく、用心深く十余人でチームを組んでいた冒険者に乱入された。もしも5〜6人の一般的なパーティーであれば二体の魔族は連携して冒険者を蹂躙したであろう。或いは発見が遅れ5〜6体の魔族が召喚されていたのであれば、やはり魔族は力をもって冒険者を蹂躙し得たであろう。しかし十余人の中級冒険者の中には対魔戦闘に習熟した者が含まれており、逆に経験の少ないたった二体の魔族を蹂躙し、それに気付かぬ魔王アギは「戦力の逐次投入」という愚を冒してしまった。歴史に《《もし》》は禁句だが。もしジオーネがダンジョンについて詳しく語らなければ--アギとて事前調査はした。アギがジオーネを至高神《ハイエスト》と奉らねば、やはり調べたであろう。不幸な巡り合わせであった。ただそれは、些細な不幸と慢心や過信、注意不足や予測ではなく願望--それぞれは取るにたらぬ僅かな瑕疵であったが--僅かなものの累積だった。
 十六体の魔族を召喚し終えた魔王アギは、瞬間移動《テレポート》の呪文で召喚の間に飛んだ。もし魔王然として下僕に呼びに行かせれば、また違った結果を生んだのだろう。そして見た、見たこともない化物《バケモノ》が手慣れた風に召喚した魔族を蹂躙する姿を。
 魔族側転生者にはジオーネよりも上位の神からある恩寵が授けられていた。それは元人間である彼らが魔族となる際、相手が人間だと知ってしまえば心が殺傷を躊躇うのではないかという事で授けられた、真に魔族の為を思って為された恩寵なのだが、《《魔族側からは人間が化け物に見えた》》。つまり、魔王アギは化け物が魔族を一方的に蹂躙する姿を見たのだ。
 この七日間の彼の足跡を振り返って見ても、彼が苦戦したという記録は無い。初期はジオーネが命の殺傷への忌避という秋山のヒトとしての倫理コードを打ち破らせる為に、わざと容易く命を奪わせた。次に経験を積ませる為にギリギリ乗り越えられる脅威と対峙させた。その意味においてジオーネは最高の仕事をした--そしてS玉県K谷市に生まれた高校生の秋山としての時代にも、彼は本気で命を奪われかねない危機に立ち向かった事はない。魔王アギは冒険者という命の奪い合いを仕事にする無頼漢の殺意……なんと十余人分の剥き出しの殺意を浴びた。そしてそれは上位神の思惑とは逆に、彼に恐怖を覚えさせてしまった。
 数日前の魔王ブジとの対戦時、アギは彼を侮った。猪武者と見下げた。そして今彼は猪どころか負け犬だった。ブジはまだ果敢であった。魔王アギは敵ではなく己の心が生み出した恐怖に負けた。呪文で瞬間移動《テレポート》出来ることも、自分が魔王で強力な戦闘能力を有することも--すっかり忘れた。そして彼は十六年の月日で染み付いた経験から「走って逃げ出した」
 その逃げ出した先に、最大の問題が待ち構えていた。先の冒険者たちの知り合いの一人、平凡な、しかしただ一点においては非凡な男であった。名前をロマーニュという。
 彼は何故か効率から背を向け、事もあろうに命を賭ける命綱である己の武器をギミックにより小剣状態から変形して長剣になるように開発を続ける変人であった。名付けて可変剣。長剣にその様な機構を付けて強度が保てる訳もなく、当然の事ながらこの武器は大層壊れやすい。ただ格好良さだけ追い求めたこの武器である程度は戦えるのであるから、冒険者ロマーニュは手練れと言えなくも無いのだが。
 魔王アギは逃走経路に現れた冒険者ロマーニュを力づくで排除する事を選択せざるを得なかった。とりあえず剣の斬撃さえ止めてしまえば逃げるのに苦はない。即座にそう考えた。そして反射的に振り下ろされる「可変剣」の根本近く、刃の付いていない専門用語でリカッソと呼ばれる部分を力一杯殴りつけた。可変剣は改良を加えて頑丈になりつつあったが、根本に激しい衝撃を与えると剣先パーツが機構部で折れるか破断し、剣先だけがあらぬ方向に飛んで行くという問題点が残されていた。ただの長剣であれば魔王アギの一撃で吹き飛ばされたであろう。なんの因果かそこに現れた男が可変剣などという冗談の様な武器を使って居なければ、アギは逃げ果せたに違いない。
 アギは見た。可変剣の剣先が真っ直ぐ自分の顔に向かって飛ぶ様を。武器を破壊されたロマーニュは化け物の様に見えたが、自慢の武器を破壊された彼が激しく怒り、悲しみ驚き、そして武器を破壊されたにも関わらず激しい憎悪をアギに向けた。

「貴様だけは必ず殺す、地の果て地獄の底に逃げ込もうと殺す。死んでも殺し、魂をすり潰してやる! 俺に貴様を逃すという選択肢は無く、如何なる手段を用いても剣の復讐を果たす。楽に死ねると思うな!」

 それが彼が最後に見た《《地獄の風景》》だった。ロマーニュは剣を砕かれたが、アギは心をロマーニュに砕かれた。魔族となりアストラル体となった彼は本来魔法の武器以外では傷付かない。可変剣は魔法を宿さぬ玩具の様な武器だった。アギの目を深く貫いたのは怒りに燃えたロマーニュの殺意であった。8年間、命の奪い合いを生業として来た殺戮者の《《本物の殺意》》を前に高校二年生の平凡な学生の魂は砕けてしまった。抵抗する気はもう無い。亀のように背を丸めて怯える事しか出来ない。
 魂は絶望に沈み、無駄に頑丈な魔王の身体は死ぬ程の苦しみを何度浴びても中々滅ばず、魔王の身体は自ら失神する事なく冒険者たちの打撃を浴び続け……秋山聡は中々死ねないということは我が身に降りかかった呪詛のような物だったと薄れ行く意識の片隅でぼんやりと思い浮かべて、やがて消えて行った。

(いいのかい? 信じ切ってしまって)
(いいのかい? 自分で歩かなくて)
(いいのかい? 他人の言いなりで)
(ジオーネはともかく、お前はそれでいいのかい?)

 心に問いかける神は、秋山の魂に何時迄も静かに問い続けていた。

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純戦士のおじさん
方針変えて、noteでの収益は我が家の愛犬「ジンくんさん」の牛乳代やオヤツ代にする事にしました! ジンくんさんが太り過ぎない様に節度あるドネートをお願いしたいっ!