瑠璃、攫われるの巻(中途)

(非連続部は修正すること)

「江戸川様……さ……寒い」
「修験者! 治って無いじゃないか!」
「そら、病魔を祓っただけだからな。まだ風邪はひいとる」
「そんな……どうしたら……」
「温めてやれば良かろ?」
「「はぁ?!」」
「いやお前、年頃の男女が……」
「だんじょななさいにして……」
 弁天と江戸川少年がアワアワと慌て始める。いや、火の気でもあれば良いのだが今無いのだから仕方なかろう……
「……やる気ないならワシが温めるか? お前の方が真っ赤になって暖まるんじゃないかと思ったんじゃがのぅ」まだニヤニヤしてたら良かったのだが、修験者は困った事に真顔だ。
「こんな状態の女子に無体はせんだろ。特にお前なら」
「神仏に仕える身でなんて事を……」
「あのな、弁天。不定ふじょう(女性と2人きりになる事)とか気にしてワシが難儀してる女子供に手を貸さんかったら、戒は守れるがお釈迦様に叱られるぞ。大体少年、普段散々瑠璃とベタベタしながら何故そこには拘るんだ? 拘る所違わんか?」
 常の修験者には無い迫力に、弁天は圧倒され始めている。意外とこの女、正論に弱い。
「修験や仏道が何のためのものか良く考えろ。確かに里人は享楽を求めやすく、それに固執する。その固執が迷いや苦の始まりだ。だからそうならない様に戒があるのであり、それは彼岸に至る為の要件でしか無い。戒律守って人が不幸になるのはおかしく無いか?」

「大体だな、皆が坊主や尼になり、不淫を守ったら子が産まれん。ある意味交わり子を成さねば人の世は終わる。当たり前の話だ。不淫戒はあくまで皆を導き彼岸に連れてく坊主がやれば良い。町衆が子を成したから成仏出来ないなんて話があるか。自性清浄じゃ。別に人の当たり前の生活は穢れても汚くも無い。いいから瑠璃を暖めてやれ。抱きしめてやれ。今この場ではそれが御仏の心に叶う。間違いない。弁天は手拭いで汗を拭いてやれ」
「修験者は何を……?」
「そらお前、修験者だもの……経を読むさ」

 居住まいを正して修験者が声を上げる。

大楽金剛不空真実三摩耶経たいらきんこうふこうしんじさんまやけい如是我聞じょしがぶん……」
「じょしがぶん?」ここで江戸川少年が布団の中で反応した。片眉を上げて修験者は「ほぅ、違うことに気付いたか」と心の中で感心する。読みが違うのだ。如是我聞にょぜがもん(かくのごとく、われはきく)と同じ漢字をこの経では別に読む。
勉強しとるな少年! 機会があれば学ぶが良い!

 滔々と読経が繰り返される中、江戸川少年や弁天はいつしか眠りについた。お経には不思議の力があり……何故か聞いていると眠くなるのだ。別にこれは御仏の功徳ではないのだが。

 朝が来ても修験者は読経していた。弁天は日が昇る前に目覚めて、ひたすら読経している修験者に声をかけた。「一睡もせず、か?」
「救うというのは難儀なものよ。たかが風邪でも読経や真言では中々治らん」
 或いは……と修験者は考える。或いは、修験者の験力が更に高まればあっという間に治るのかもしらん。しかし、それで何とかなるのは果たして良いことなのか、どうか。修験の修行に限らず、人の一生というものはある種の修行だ。人は人の人事を尽くすべきで、気軽に神仏を頼るべきではない。それでは魂が磨かれない。
 経文は呪文では無く理論だ。その意味を理解して初めて功徳が見えて来る。繰り返し読み繰り返し考える。
「そういや弁天、経は読めるか?」
「かんじーざい……というアレか? サッパリだ」なんだその妙に良い笑顔は。
 人生は長く、学ぶには短い。こりゃ弁天が本当に弁天様になるには那由多の時が必要じゃなぁと、ちょっぴり修験者は落胆した。まぁ、それもまた人生か。

「どうれ、山にでも行くか」
「何しに? 何で山なんかに」
「山には何でもある。薬でも取って来るわ」

(まだ続く)

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純戦士のおじさん
方針変えて、noteでの収益は我が家の愛犬「ジンくんさん」の牛乳代やオヤツ代にする事にしました! ジンくんさんが太り過ぎない様に節度あるドネートをお願いしたいっ!