酷い話を書いてみる
さて、よくあるお話では勇者や英雄が命がけで世界を救うなんてプロットがある。命は一個しか無いしね、山より地球より何より重いって言いますしね。人権尊重、いのちだいじに。
しかし、命は本当に何より重いのだろうか?(てつがく)
命があればこそだ。命を救うためなら凡ゆる行為が「仕方ない」と是認される……
べきなのか?
という大変意識高い高ーいテーゼに対して、実際「(一見)命を守るに特化した」ある勇者の物語を想起してみた。意識は高く、実装は低俗に。真面目過ぎるテーゼだから実装ぐらいは軽く軽ーくネ☆
ならお前、世界救う為にビキニアーマー着て往来歩けるのかよ?(女性の場合は男物のブーメランパンツな!)
勇者は非の打ち所がない徹底した善人である。彼の性格形成に関わる過去の出来事も考えた。「大望を果たす為には泥を啜り愛馬や愛犬を食ろうてでも生き延びよ。恥辱に満ちた行為であろうと大望を果たすのに必要なら喜んで行え!」
一応史実にも大望のために恥辱を忍んで受け入れた大聖人の話がある。
チョコレートで有名なゴディバ夫人だ。(詳しくは上見てネ☆)
命を賭けるのはある意味簡単だ。事ならずば死ねば良い。しかし恥辱に耐え、人生を生き続けるのは難しい。かの「覚悟のススメ」や荒野の七人のオライリーもそんな事を言っている。
大望を果たす為に何でもする。難しい話だ。大抵の人間は拭えぬ恥辱と命や生活が掛かった選択で「それは流石に無理」と恥辱を退け不利に甘んじる事もある。誇りや尊厳というものは時として自らの命より重い。
最近読んでる話で、こんな展開がありましてな。
この話でこの「貞操逆転世界観童貞辺境領主騎士」をめっちゃ気に入った。男には誇りやメンツを守る為に命や無様を受け入れなければならない時がある。全ては己が己であり続ける為に「何を捨てるか」という選択に終着する。命が大切なんじゃなくて、命が運ぶその生き様が重要なんですよ。
本当に大切な物って、何だろう?
ただ、生きながらえるor誇りを守って死ぬなんて表層的な部分ではなく、その裏に隠れた想いを考えたい。勇者が誰が着たかわかんねぇ中古のビキニアーマーを履くその瞬間。恐らくはパーティメンバーが「マジかよリーダー」と呆気に取られ、自身も羞恥で顔を真っ赤にしているその時……彼の脳裏にはどんな風景が見えていたのだろう? 魔物に襲われて父母がその身を庇うも3人もろとも串刺しにされた家族の遺骸か? 既に飢えて死んだ子に水を与える姿のまま死に絶えた父母の骸か? 生きながら食われ、お父さんお母さん、おかーさーんっ!と泣き叫ぶ少年の絶叫か?
それを忘れられないから、耐えられるのだ。
守れず、取りこぼし己の掌からハラハラと落ちたもの達の事を忘れられず、よくある事と達観出来なかったから勇者は勇者として立った。
見た目はこれより酷いけどな!