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水星の魔女 4話感想

チュチュ回でしたね。

この辺の表層的な話は短観として放流したワケだが。

木曜日の「感想」ではもうちょい掘り下げる。

アスティカシアの学生は、今のところ1人を除いて「親から期待され、それを満たそうとする子供」である。本話ではその一部、チュチュパイセンとスレッタの共通項の発見から「チュチュがスペーシアン・アーシアンという区分を限定的に止める。スレッタを受容する」という話だが……

これ続けると、全員なんらかの期待背負ってるから、チュチュが気付いた段階で「せっかくの狂犬キャラが死ぬ(身体的生死ではなくキャラクター性の死である)」みんな仲良しぱやぱやーになってしまうのだ。世代間闘争の流れにならぬ。

なので、割と近い内……下手すると5話でやらねばいけない筋が出る。

期待=呪い


ですわなぁ。親の期待に応えたい、喜ばせたいってのはベクトルの違いにより期待にも呪いにもなる。それは本質的には同じものなんよ。実はこの呪いと逆の性質を持つのが……

祝福、なんであるよ。期待は「こうあって欲しい」という他者の祈りであり、少なくともこの「祝福」という歌は「君の選んだ道に幸あれ」という対象の選択の全肯定、対象の選んだ道を応援する歌なんだわ。

なので全員対ショック姿勢を取れ。

下手すっと水星の魔女のメインキャラクターの中で、親や大人や社会の期待に応えようと頑張った結果「自分の想いが叶わない」という意味の「死ぬよりお辛い」奴が出る。(全員回避もワンチャンある)

例えば、チュチュの場合……学園の生活をエンジョイしたい気持ちがあるのに、地球の皆が望む「スペーシアンフルボッコ」をやり過ぎて問題となり退学処分になりそうな時……大人が「そんなけったくそ悪い学校なんか辞めちまえ!」と言い出すかもしれない。彼女は気丈に期待に応えるが、地球に向かう船の中で泣くだろう。

グエルはあの脚本家からの愛され具合により土壇場で反旗を翻すだろうが、やはり大人の都合と自分の想いが相反するシチュエーションがあるかも知れない。

次話がどー見てもエラン回なのでちょっとだけ危惧してるが、あの感情というものが希薄な彼だからこそ、自分の気持ちと相反する事強いられて苦しむかもしらん。次回タイトル「氷の瞳に映るのは」だろ? 氷は熱で溶けて水になる。目のあたりから出る水を何という!?(逆説的に、泣くが救済される展開だろうが)

(ロン毛はキャラの掘り下げがまだだから直近ではセーフ)

まぁ、本作「話のラストでアゲて、次話頭でちょい落とす」何回かしてるので、視聴者の魂を余計に揺さぶらない様に配慮すると思うのだが……

あまりパッとしなかったり、売り出し中の若手に「制作側が押し付けた歌」を囀らせるのではなく、売れ線の歌手にわざわざ歌わせた歌という点に着目したい。何度も聞かせてサブリミナル的な効果を狙って「あの歌」は出来ている。

以下「気付いているぞ」という制作側へのアッピールとしてちょっとしたデータを置いておく。

いいかね、エアリアルの魔法は歌なのだ。

何故、ゆりかごの星はエアリアル視点で描かれなければいけなかったのか。「エアリアルの歌」である理由があるのだ。

囁きかけるエアリアル。どう見ても幼女です。

さて、彼女は誰かな? エリクト? スレッタの姉?

なんでテンペスト読んだり調べまくったりしないかなぁ?

方針変えて、noteでの収益は我が家の愛犬「ジンくんさん」の牛乳代やオヤツ代にする事にしました! ジンくんさんが太り過ぎない様に節度あるドネートをお願いしたいっ!