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自閉症スペクトラム障害



障害を調べに行った日


小学校1年生のある日、先生から母親に1本の電話がありました。

『クマ子さんの最近の生活態度や授業の様子を見てると少し発達の心配をした方が良いのかなと思います。専門機関で診てもらった方が良いのではと思い…』みたいな話がありました。

その後、どこに行くか聞かされないまま専門機関へ連れてこられました。

そこでは個室がありガラスの向こうで母は様子を見てました。

とっても優しいお姉さんとお話したり積み木をしたりパズルをしたり。

『これは出来る?今から私がやる事を真似してみて!』等の事を言われそれをやる。そんな時間が続きました。

そんな時間でも私はとっても幸せな時間だったのを覚えています。

だって妹が生まれてからは天秤にかけられた様に扱いが雑になり、母は見向きもしなくなった。

叱るのも何も言い返せない程に追い込んでくる。

幼稚園ではいじめがあり。いつも1人だった。

小学校でも友達は居るけど群れる事はなかった。ほぼ1人。1人の方がむしろ楽だとも思うようになった。

だから私1人にだけ特別に向き合って時間をくれるお姉さんに感謝の念で心が満たされたそんなひと時でした。

クマ子が障害者と知ったのは友達の前で

クマ子の家族は両親と母方の祖母と妹の5人家族でした。

母方の祖母は肺の片方を全摘出していて障害者だった。

それに田舎育ちの末っ子だったのもあり少し人とズレた行動や言動が目立つ人だった。

そんな祖母が私の人生においてかなりの心の傷が残る発言を友達の前でしてくれちゃて…。

それが近所のその頃大親友だったA子ちゃんが遊びに来てる時に少し揉めてた私達をみて『クマ子は障害者だから仕方ない』とサラッと言ってきた。

え???

初耳なんですけど?

私も知らないデリケートな事をよくも友達の前で言えるね!!!

ってかすっごくサラッと言って来たけどこっちはかなり傷付いてますよ!?

プライドがあるからグッと堪えたけど『私障害者じゃないもん!』って言い返したのにそれも否定しちゃって!

めちゃくちゃ睨んで友達には恥ずかしかったし、この状況どうしてくれんの???って感じになりました。

その後この障害者発言が気になり数日悩んだ末母親にグッと涙を堪えながらその話をしました。

『ばあちゃんにA子ちゃんの前で障害者って言われた!私障害者なの?』

母は以前行った専門機関での結果を分かりやすく教えてくれました。

自閉症スペクトラムの行動

乳児期のクマ子は何をしても泣き止まず、ノイローゼになりそうで山に捨てたくなる程だったと聞いています。

幼稚園の時は爪を噛むヨダレが垂れやすいそんな子。

よく覚えているのが母から『何言ってるか分かんない!言いたいことあるならハッキリして!』そう言われて、こんなに考えて伝えたい事をちゃんと言葉にしてるのに何で伝わらないの?そう思った記憶があります。

幼稚園バスで私をつねってイジメてきてた子がニコニコ近所の友達と話しているのを見て無性に腹が立ち気づいたらビンタをし走って家まで逃げた事があります。

その時、家で寝ていた母に『またなんかやらかしたんじゃないでしょうね。』と睨みながら言われ思いっきり否定しました。

またとか言われてますがそんなに友達関係で問題があった事はなく、問題は友達のお母さん達。

この方々からクマ子ちゃんこの前…みたいな事を母は言われてたみたいです。

障害の診断が出てからは障害があるので大目にみて下さい的な感じを近所に伝えたみたい。

その後小学校では友達と約束したのに一人で勝手に帰る事がありました。

習い事でピアノを習えば音符が覚えられずピアノも弾けず、発表会では1人だけ歌を歌う事になった事もあります。

勉強は国語が1番苦手でした。 

音読が本当に嫌いで、平仮名が読めなかった。

「ね」なのか「ぬ」なのか読み方が分からない。

指でなぞりながら読んでもどこを読んでたか分からなくなる。

カタコトで読むから内容が理解出来ない。

そして文章問題が国語も算数も苦手。

言葉の意味が理解出来ないから回答も出来ない。

ある日母に勉強を教えてもらう事になり算数をする事に。

『5と5で10でしょ!何度言ったら分かるの?何で分からないの?』私には理解出来なかった。

授業中はちゃんと座ってられる子でした。

でもカンニングとよそ見がやめられなかった。

自宅で国語の音読の宿題。あれも辛かった。

これ何だっけ?これ何て読むの?は毎度の事。

母もイライラしながら『何回聞くの?さっきも教えたでしょ!』のくり返し。

小学校から高校までの教科書には自分で書いたふりがなが沢山書いてありました。

特に国語と英語!

やっと中学でローマ字が出来たクマ子にとっては難易度が高すぎました。

小学校のパソコンの時間。まだフロッピーディスクがあった時ローマ字が分からず1人沈黙する時間を過ごす事もあったり、コピーを200枚に設定してしまって先生が文句を言いながらキャンセルを何度もしてくれたり。

中学3年生でもう一度専門機関へ行き、養護学校へ行くべきか高校へ行っても大丈夫か相談もしました。

因みに20歳の時点でIQが90。普通一般のIQが100で、70までになると知的障害と診断されるそうです。

教えられるより叱られる方が多かったけど私なりに改善

母に叱られる様になってから人間観察と改善する方法を模索し、こう言ったら傷付けるとかこう言えば伝わるとかかなりの試行錯誤を幼稚園の時からしました。

こういう言い方は良くてとかこういう明るい子の方が話しかけられやすいとか身だしなみや食べ方、聞いてる時の相槌やニュースへの関心等。

こういう行動が嫌われるとか。

ドラマや人の経験すらも学びの種だと思い吸収しました。

模索しまくった結果、本当に自閉症スペクトラム?と言われるほど話すとかなり健常者寄り。

語彙力のなさと文章力のなさがお恥ずかしながらnoteでは全開ですが(笑)


おわり

まだまだ沢山の事がありました。

でもなんとかなります(笑)

なんとかします🤣嫌でも生きなきゃいけないならなんとかするでしょ?

躁鬱とか抜毛症とか色々あったけど、なんとかなった!

ここまで読んでくれた方ありがとうございます♡

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