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114日目 昭和のカースト(回鍋肉弁当)

いつごろからか、スクールカースト、という言葉がある。言葉自体は2000年以降のものらしいが、しかしそれっぽい序列はわたしが中学の時にはすでにあった。当たり前か。奈良時代からすでに賎民だの良民だのあったくらいだもの、未熟な未成年の社会には当然あるよな。そういうのって、パンを放置してたらカビが生えるみたいに黙ってたら自然にそうなるものなのだろう。

言葉があるから認知されるのではなくて、薄々認知されてたものに言葉をあてる。まずは本当のカースト制みたいな細かい区分ではなく、いわゆる下層の者に名前がつき、徐々に他のランクにも名前がついて、更にはそういう仕組み自体に名前が付き完成形になる、ってのも興味深い。
今は多少意味が変わっているが、昭和後半?80年代?は「オタク」がクラスの賎民的な言われ方だった。わたしが中学のころはまだ「オタク」って言葉はそこまで浸透してなかったが、そういう人は間違いなく居て、失礼ながら一番濃い人の名前を冠して「◯ちゃんず」とか言われてた。我ながら酷いな。ごめんなさい。
それから時は経ち更に細分化され例えばバブル時代だと「アッシー」とか。(車出し要員のこと。全くのオタクはそんなの頼まれやしないから華やかなグループ内に序列が出来ている)高校生なら「パシリ」とか。最近?なら「リア充」「キョロ充」とか。で、最終的にはそういう考え方自体に名前が生まれる。

ってまあそんなクラスの歴史、はどうでもよくて。娘の部活がそれなりに頑張って更に上の大会に行くことになったのだが。例えば壮行会とかあるの?と聞くと「無いんじゃない?」とのこと。ちょっと前に別の部が全国大会に行ったのだが、その部も別に壮行会とかなかったらしい。全国となると当然公欠は取るので大会に出てるのは周知されてるが、個別に「頑張って」「どうだった?」と言う人はいても、仲良くなければ話題にも上がらなかったらしい。あー思い出すなぁ自分の高校時代。実はわたしも高校時代、合唱部で全国大会を経験しているのであった。
そしてやっぱり合唱部は部活カースト下位なのか、誰にもどこにも話題に上がらなかったのだった…。(だけど学校のホームページ等には何年経ってもしっかり載るんだよな)

腹が立つのは合唱部は全国行っても「ふ〜ん凄いねー(棒読み)」なのに。地区大会三回戦くらいで野球部は全校応援になったこと。しかもそれから40年近く経ち、学校も違うのに娘の高校でもあったよ野球部全校応援。そりゃ授業は無くなるので生徒は浮き足立ち「頑張って」「応援してるぜ」の声多し。娘の学校ではコールの紙も配られ「イケイケ山田、オセオセ山田」みたいのを吹奏楽部の演奏の合間に誰かが言ってる見本の動画?もあった。

わたしが強く覚えているのは自分の野球応援で。まあ負けるんだろうな、って局面(多分8回裏あたり)で突然隣の女子が泣き出したことだ。「田中くん…頑張ってぇ…」って。申し訳ないがギョッとした。その子は今で言う陽キャとかじゃ全然なく、田中と話したことあるの?って感じの子だったので。そしてそれに同調し涙目になってる子も何人か。マジかよ。わたしはどちらかというと涙もろい方だが、シラーッとした気持ちになった。合唱部では泣かないくせに。定期演奏会に誘っても来ないくせに。更に言うなら野球部のことだって、土日も練習してるとか知らないくせに。

でもでも更に腹が立つのはね。当時の合唱コン(いわゆるNコン、NHKコンクール)は。地区大会はナントカホールでやったんだけど、全国大会はテープ審査で、最寄のNHKのスタジオで歌ってそれを録画、後日各ブロックの学校の合唱が編集され一本の番組としてNHKで放送されたのだった。勿論審査も終わっており、終了時にテロップで「優勝 ◯◯高校」と流れていた。NHKホールで全国大会をするようになったのは割と最近のことなのだ。
学校(なのか連盟?なのかよくわからんが大人の側)がカーストを助長することをやってどうするよ!
地区大会三回戦で全校応援する野球部と全国行っても遠征も壮行会もない合唱部じゃ、そりゃカーストもわかれるでしょうよ!
と、当時高校生のわたしは思ったのでした。

①回鍋肉
②のり佃煮入り卵焼き
③ミニトマト
④中華スープ
⑤ご飯
補食:ちびいもデニッシュ(昨日もりもとで買ったが食べきれなかったもの)
飲み物は烏龍茶

感想。美味しかったそうです!
そして部活についてですが。朝の会で発表されたり、友だちの話題で出たりは特になかったそうですが、休み中のプリントを取りに行ったりした時などに。「見たよ」「良かったね」「頑張ってね」と何人かの先生に声を掛けられたそう。そういうのって大事だよね!

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