行きたいところ:自分史上最古の聖地群〜トロイ、ベイカー街、東京五色不動、黒死館(後編)〜
辿り着けない聖地なのは、そこが架空の住所だからである。高校3年の受験期に隠れて読んでいた本はもう一冊あった。小栗虫太郎著の「黒死館殺人事件」である。
同書は、前編で言及した「虚無への供物」、夢野久作の「ドグラ・マグラ」と並び三大奇書と呼ばれる。理由は本を開けばすぐおわかりになると思う。
1ページ目の第6行(私の持っている版)にいきなり「臼杵耶蘇会神学林」とあり「うすきジェズイットセミナリオ」とルビが降られている。
何これ、一体?
全編こんな風に圧倒的な情報量の暴力なので、読み進めるのに忍耐がいり、追うべき殺人事件の筋がしばしば分からなくなる。というより、どうでもよくなる。
物語は、黒死館において天正遣欧使節とカテリナ・ディ・メディチの隠し子と言われたカペルロ・ビアンカとの間の子の子孫である降谷木家(ほら、もう凄いでしょう?)で起こる猟奇的連続殺人事件である。連続殺人と4文字にまとめないと、登場人物などの説明でもキリがなくなる。厨二病なら確実に狂嬉する設定とだけしておこう。
事件現場の黒死館は、ボスフォラス海峡以東に唯一つしかない、ケルト・ルネサンス式の城館(「シャトー」とルビ有り)で「神奈川県高座郡葭刈」にあるとされているのだが、高座郡は実在するが、該当する地名はない。山口雄也『【「新青年」版】黒死館殺人事件 解題』によれば、「大山街道」、「私鉄T線」、都内にある探偵の事務所からの所要時間から総合すると、広大な高座郡のどこかに著者が休日によく訪れた玉川電鉄の溝の口あたりの風景を重ね合わせたものではないかと結論づけている。神奈川県に関する土地勘がないため、イメージが全くわかない。いずれにしろ、シュリーマンがトロイ遺跡の位置を推定するよりもっと難しい状況なのである。
Q.E.D. 辿り着けない。
しかし、黒死館のような架空ではない住所の、もう一つの聖地が長野県内にあることを最近知り驚いた。2024年10月7日から19日に東京古書会館で「小栗虫太郎展」があり、図録を購入した。その中に小栗の三男宣治氏の「小伝・小栗虫太郎」があった。
長野県中野市!?
第二次世界大戦末期、中野市に疎開した小栗は菊芋(長野県小諸地方に多産する植物)から果糖を製造する事業に取り組んでいた。昭和21年になると探偵小説復興についての意見交換も始め、東京と中野市を往復することになったとい小伝によれば、「私は数多くの土産を詰めたリュックサックを背負って、長野駅の階段を颯爽と行く父の姿を忘れることができない。手に『赤毛のレッドメイン』を持っていた。」とある。
昭和21年2月3日に脳溢血の発作を起こし、10日に亡くなった。長野県居住者からすると、極寒の時期に戦後間もなく無理を重ねていれば、ありうると納得してしまう。しかし、45歳は早すぎる死であった。新しい本「悪霊」を執筆中だったそうで残念でならない。私が読んだ版の年譜では亡くなった場所の記載が無かったことから、てっきり東京で亡くなったとばかり思いこんでいた。
図録には宮川洋一氏のコラム「小栗虫太郎記念文庫についてー私と小栗虫太郎ー」があり、さらに驚いた。宣治氏の夫人は中野市出身であり、夫人の妹と職場の同僚だった宮川氏が「小栗虫太郎記念文庫」を平成22年に設立されていたのである。頓挫しているが、小栗の記念碑を設置する計画も進んでいたとのことである。
こちらは現実に訪れることができる。近いうちに行こうと思う。