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傷は消えなくても。

※重くはないですが「リストカット」を含む内容です。苦手な方は回れ右を推奨致します。

私はかつてリストカットをしていました。
メンタルに不調が現れだした高校三年生の春頃から、柔らかいベッドで眠れなくなり床で眠るようになり、食欲がなくなって食事が1日一回になり、そして不安に駆られると腕をカッターナイフで傷つけるようになりました。
どんどん様子が変わっていく私に、友人が「そんなことをしても誰も同情しないよ」と言いました。
曖昧に笑って取り繕ったけれど、そう言われて悲しかったのを覚えています。そんなことを友人に言わせた自分が悲しかった。
同情されたいとかじゃないの。これをやらなきゃ不安で生きていけないの。
いつの間にかリストカットが、理由のない不安に潰されそうな毎日を生きていくのに、必要なものになってしまっていました。
その時の私は、カッターナイフを手離すことのほうが友人を失うことよりも恐ろしかった。

二十歳を過ぎた頃、私はようやくリストカットを手離すことが出来ました。「統合失調症」という診断がおりて、投薬治療を本格的に始めた頃です。
リストカットを止められたものの、腕にはたくさん傷痕が残ってしまいました。
大きくて目立つ傷は、キレイにするために整形外科で再縫合の手術を受けました。おかげでみみず腫れのようだった傷痕も、白い線になって目立たなくなってくれました。ちなみに傷痕の再縫合手術は、一ヶ所につき一万円(当時)でした。意外とお高い。
でも手術を受けて良かったな、と思っています。傷痕をリストバンドで隠さなくても良くなり、半袖の洋服も着られるようになったし、なによりも薄くなった傷痕を母が喜んでくれたから。
娘の腕が、切り傷でぼろぼろになって、悲しくなかったはずがない。そんなことに思い至らなかった当時の自分が恥ずかしくはありますが、それだけ生きることに必死だったんだな、と自分を抱き締めてやりたい気持ちにもなります。リストカットから離れられた私のことだけは誉めてやりたいです。

手術から更に二十年近く経ちましたが、まだ私の腕には白い線になった古い傷痕がいくつも横たわっています。
結婚する前、彼にも、過去の話だけど、と全て話しました。あまり重くならないよう、なるべく明るく話してみましたが、内容が内容なのでドン引きを食らうことを覚悟して打ち明けました。当然、彼は驚いた顔をしましたが、ふにゃっと目尻を下げて笑うとこう言いました。

「おばあちゃんになる頃にはその傷もきっと皺に紛れて解らなくなるよ。」

しわくちゃのおばあちゃんになるまで側に居てくれる覚悟が、その時の彼にあったのかは解らないですが、今、彼は私のだんなさんです。
最近白髪が増えてきた私たち。
しわくちゃになるまで一緒に居られたらいいな、と思っています。

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