ミンカパノピカと大阪テクノポップ・シーンのこと。(1986〜87)
昨年7月31日にnoteに投稿した記事『ぼくのゴス・ライフ in the 80's!!』は僕が10代後半にとても影響を受けのめり込んだゴス=ポジティブ・パンク(通称ポジパン)時代の話を書きました。
スキの数で言えばnoteを始めて一番最初に投稿した記事が一番多いのですが、ビューアー数で言うと桁違いで断トツにこの記事が一番多い。
やはりカジヒデキ=ネオ・アコースティック / ギターポップ / スウェディッシュ・ポップのイメージが強いと思うので、かつてゴス少年だった僕のメイクや出で立ちは大きなギャップがあって面白かったのではないでしょうか?
それこそ『リアル・デトロイト・メタル・シティ』ですよね。
その記事の最後に「ゴスの時代を書いたので、次は大阪テクノポップ・シーンについて」と書いていたのですが、全然書いていませんでした、、。
いや、何度も書こうと思っていたのですが、その度重い腰が上がらず、、、。
しかし今回はその事を書くことにしました。
と言っても、そんな重い話でも特別な話でもありません。
ただ自分にとっては物すごく影響を受けた『ゴス』と言う様式美と、その後現在に至るまで多大なる影響を受け続けている『ネオ・アコースティック(ポストパンク、もしくはインディーポップ』と言う様式美のはざまに燦然と輝き夢中になった関西の可愛い人たちのお話です。
大阪テクノポップ・シーンというのは僕が勝手につけた名称だと思いますが、もしかしたら当時そんな感じで呼ばれていたかも知れません。記憶が曖昧です。
代表的なバンドを挙げるとそのシーンの中心とも言えるミンカパノピカを始め、ペータース、ビスケット・ホリック、レトロ、T-TIME COLLECTION など。
どんなきっかけでミンカパノピカやそのシーンの存在を知り好きになったのかは、今となっては全く思い出せないのですが、おそらく1986年9月に当時加入していたゴス・バンド『ニウロティック・ドール』の関西ツアーで大阪に行った時に、誰かに勧められたか、パノピカのライブのフライヤーをライブハウスかレコード・ショップで見たか、ミニコミなどで彼らやビスケット・ホリックらが一緒に紹介されている記事を読んだか、そんな理由で彼らの事に興味を持ったのだと思います。
そう、多分このフライヤーを見てスゴく興味を持ったのではないかな?
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