暗黒時代のIVORY CAFE 〜 at ニュー風知空知後編
こんにちは、カジヒデキです。
今回は前回に引き続き2020年のコロナ禍に堀江博久くんと後藤NARIくんとスタートした企画
“IVORY CAFE at ニュー風知空知”
の歴史の後編です。
歴史的なコロナのパンデミックが起こり我々人間が恐怖の底へ叩き込まれた2020年。ニュー風知空知さんでのこの企画は先の見えない不安な状況の中で僕の心の拠りどころでもありました。
ニュー風知空知の存在にとても助けて頂きました。
しかしそのニュー風知空知が2024年10月31日をもって閉店してしまうのです。
なので今、この4年の軌跡を振り返る事にしました。
もしまだ前編をお読みでない方はぜひ併せてお読み下さい。
そう、前回は『IVORY CAFEでお茶しませんか?』と言うタイトルにしましたが、そんな生ぬるい話じゃないなと思い今回は『暗黒時代のIVORY CAFE』にしてみました。
IVORY CAFE since 2000
そもそも『IVORY CAFE』というタイトルでカフェライブを始めたのは2000年7月の事でした。
その年の5月にリリースした『YOU WILL LOVE ME』というアルバムの収録曲に「4月のある晴れた日に100%の女の子に出会うことについて』と言う曲の歌詞に
パーティーを開くよ 君が来てくれるような
と言う一節があり、お気に入りのカフェでパーティーを開こうと思ったのと、
そのアルバムの中の曲やそれまでに書いたソフトで優しい曲は、ライブハウスのような場所ではなく居心地の良いカフェとかで優しく歌った方がしっくり来るなと思ったからです。
1番最初に『IVORY CAFE』を開催したのは2000年7月下旬に大阪は心斎橋のアメリカ村にあったモンスーンティールーム (ex-カンテグランテ)と、新高円寺にあったマーブルトロンでした。
メンバーはギターのASHさんとパーカッションのチャーべくん。
このポストカードのフライヤーは多分そのライブの時に配った次回の予定だったと思います。
橋本徹さんのアプレミディの名前も入っていますね。
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