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デビルズ・ヘアカット - 大不評だったヘアスタイルの話

僕はこの10〜15年くらい、ヘアスタイルをほとんど変えていません。
特にこの10年は行きつけの美容院の担当である宮川さんにいつもこう言います。


前回と一緒で〜。


もしくは

前回と一緒で、前髪だけ少し長めで。
または前髪は少し短めで〜🎵


もしくはいつもより全体を短めで。
いつもと一緒は、別に嫌なことでも悪いことでもない。
この年齢になってスタイルもある程度決まっていて、しかもまだキープ出来ているだけでもありがたいこと。20代の頃は30才を過ぎて急に髪がズルッと行ってしまったらどうしようと悩んだよね、、。
そんな悪夢を何度も見たりしてね、、。

そういう意味ではまだ頑張っている笑。
ただもう一方で、こんな事を思う自分が存在します。

あぁ、なんて事だ!
かつてポリスターレコードのトラットリア時代、A&RでDOTS+BORDERSの担当でもあった和山さんに『HAIR CONSCIOUS 』という称号を頂いた僕なのに、すっかり保守的な男に成り下がっちまったぜ、、、。

まぁ成り下がりは冗談だとして笑

男性も40才を過ぎると髪の量や質が大いに気になってくるので、パーマやブリーチなどをして髪をいじめるのは辞めようという気持ちになるし、イメージチェンジをして脚光を浴びるタイプのアーティストでもない。
それに40や50ともなれば否が応でも老化を拒むことは出来ない。

それでも最低限、見た目やスタイルはキープしていたいので、まずは太らないようにする。そして見た目を変えないという意味でも、ヘアスタイルも出来るだけ変えずにキープしたいというのがある訳です。

まぁ、どうでも良い話かも知れませんが。。。

とは言え、毛が細くて猫っ毛気味な僕も、10代の頃から様々なヘアスタイルに挑戦してきました。

今回はそんなヘアスタイルのヒストリー話です。

まずは以前、僕が初めてヘアスタイルを真似した女性アイドルの話をnoteで書いた事があります。


10才の時、一番最初に憧れたヘアスタイルは岩崎宏美さんの前髪パッツン・ヘアでした!

中学生の時は校則で男子は坊主刈りだったので暗黒時代でした、、。
田舎の中学を恨みました、、。

YMOに憧れたので細野晴臣さんのようなテクノカットにしたかったのに。
でも僕は揉み上げがはえないので、見た目ナチュラルにテクノカット気味でした。なので校則を少し破って、少し長めの坊主刈りにしてテクノ気分を味わったものです。

高校に入学するとパンクの影響をものすごく受けました。
僕と同世代のパンク好きだった方は一緒だと思いますが、ダイエーのスーパーハードスプレー(グリーンのやつ)で髪を逆立てたり、あとはスージー・スーに憧れたので高校1年の終わりの春休みに、母の知り合いの木更津の美容院にスージーの写真を持っていって「こうしたい」と言ったら三つ編みパーマをかけてくれて、ものすごいボリューミーな髪で「どうしよう、、、」と思いながら家に帰ったのを思い出します。

この写真は高校2の終わりの春休みだけ初めて髪を赤く染めたんです。
これも確か同じ木更津の美容院で、この時はトーヤ・ウィルコックスの写真を持っていきました。
いや、写真じゃなくてバッジだったかも? (どうでもいいですね)

高校3年の頃は東京のハードコア/ポジパンバンド・ソドムのザジさんに憧れたので、ザジのヘアスタイルを真似ていました。


19才。ニウロティック・ドールに加入しライブを始めた当時のヘアスタイル。

これはニウロティック・ドール加入した頃。1986年6月かな。
自分的にはニック・ケイブとかロバート・スミス、The Dance SocietyとかGene Loves Jezebelとかかなりゴスを極めた頃ですね。
ベルベットのジャケットは渋谷のファイヤー通りにあったBinmei Flower Essenceのもの。パンツは原宿のゼクトアーで購入。


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