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宝石を抱く
『きみの絶滅する前に』という物語を読んだ。
かいつまんで説明するとするならば、漫画本であり、ペンギンやカラスやカワウソなど。所謂、『絶滅の危機に瀕している』動物たちが人間のように思考し、ひとつの石を繋いで語られる物語だ。
最初の話のペンギンは、卵のかわりに、石を温める。
自然界では、うまく雛が孵らなかったペンギンに時たま見られる行為なのだという。
遺伝子を繋ぐことを義務付けられた本能を否定する、一見生産性のない行為。
それでもその行為に、痛切な美しさを見るのは、罪だろうか。
話題を、一度転換させよう。
前回述べたように、私は美しいものが好きだ。
その趣味の一貫で、宝石を集めている。横向きに寝るため、体重が深くかかって即体部の形にへこんでしまった四年選手のマットレスの上部、枕の先に、いくつもルースケースを並べて置いてあるのだ。
宝石というのは奥が深く、ひとつとっても地質学や物理学、地理、神話、歴史、果ては経営学にまで繋がることがある。
岩石の中から暴き出され、磨かれ、私の手元に行儀よく収まるまでに、地中で数万年の眠りと胎動を聞いているのだ。
想像出来るだろうか、重苦しい数万年の眠りを。
私は「眠ったら案外、あっという間かも?」とのんきに思ったりしている。
とにもかくにも、私の手元にはそんなご長寿が、幾人(石?)もいるわけなのである。
そんなもん置いてどうすんねんと言うなかれ、これがなかなか癒し効果があるのだ。うっとりと見惚れたり、様々な光によって変わる色合いや煌めき方を観察したり、ルーペでカットの左右対称性に感嘆したり…。一番安寧という癒しに繋がるのは、これが劣化などせず、私の手元から逃げてもいかないことだろうか。
地球の神秘と、人間の知恵と技術、あくなき探求心が、ごく小さな一粒に詰まっている。
私は時折、その宝石たちをじっくりと眺めてから眠りにつく。じっくりと眺めることはなくても、寝る前など、毎日のように人工灯の下その輝きを見る。
だからだろうか、不思議と、石を抱く動物たちと私に、言葉に出来ないような細い繋がりを見たのだ。
22歳ではあるが、私は今のところ。子供を産むつもりは、生涯に渡って、ない。
既にかたく決めたことである。
原始生命誕生以来、連綿と続いてきた生命の存続。
それを私は断絶するのだなあと思うと、誰に覚えるでもない罪悪感とか、謝罪願望の味が舌の上に広がった。砂時計の中の砂粒を噛んだら、こんな気持ちなのだろう。
環境要因によるものといえば、それはそうだが。
結局は、至純な傲慢ちきたる自分の選択だ。
人間に逐われて絶滅していく動物たちに顔向け出来るものではない。
そう思いながら、私はやっぱりすっきりと眠る。
枕に乗せた頭の先にいくつも宝石を並べて、石たちがかつて地中で見た、夢さえ滅多に見ることなく。
あまい 2024/8/22