【永久保存版】いじめから精神崩壊!?どん底から這い上がった男の話。いじめに興味ない人にこそ読んでほしい
今、いじめに遭っている人、いじめている人、ただ見ているだけの人。
そんな人はどれぐらい居るのでしょう。
今回お話しするのは、高校生時代にいじめを受け、失政症に苦しみながらどん底から這い上がってきた男の話をします。
『いじめなんか自分とは縁がないし無関係だ』そう思っている人にこそ読んでほしい。そんなお話です。 ※この記事がいじめについて悩んでいる人の希望になり、そして興味関心が無いと言う人の心の中に『こう言う事が実際に日々起こっているんだ』と理解してもらえたら幸いです。
高校一年生の二学期の事
ある日学校に行くと、教室の雰囲気がおかしいことに違和感を覚えた。 昨日まで仲良く話していた友人が明らかに自分を避けている。 みんながヒソヒソと話しこちらをまるでゴミを見るような目で見てきた。 そして私の机が、明らかに孤立して離れて置いてあった。 なぜそんなことになったのか、その理由は解りません。この日から、徹底的に無視され始めました。
【人と話さなくても授業は受けれる】
無視はされるけれども、私は絶えました。
三学期に入り相変わらず無視はされていたけれども何とかやってこれました。 しかし…
それまでに、どうしても我慢とかでは何とも出来ない事もありました。 授業の中や行事などで誰かとペアを組まされる時があるのです。
この頃にはみんなが口に出して『あいつとペアとか死んだほうがマシだ(笑)』などと聞こえるように言ってくるようになっていました。
私とペアを組むことが罰ゲームになっていたのです。
しかし、聞こえるようには言ってきますがだれも面と向かっては言って来ませんでした。
三学期も終わりに近づいたころ、担任の先生と二人で話す機会があったので二学期からの事を話してみました。
先生から帰ってきた言葉は今でも忘れません。
『やられていると思い込んでいるだけだろう。そういう態度を取っているから周りがそうだと感じるんだ。自分から声をかけたり努力しろ』
その時少年は思いました。
ここに味方はいない。と…
進級
学年があがりこの状況が変貌します。
悪い方に。
一年生の時に少年をハブろうとした主になる人物が留年した事が、この状況にさらなる悪影響をもたらしました。
その時、部活だけが自分の居場所だった少年は所属していたバスケ部には真面目に取り組んでいました。後輩が入り部も活気が出てやりがいを感じていたのですが、その留年した人物が後輩を引き連れて部活をしていた体育館に冷やかしに訪れ、罵声を浴びせてくるようになりました。
周りにいる後輩達は、罵声を放つそれを見てただ単に迷惑系YouTuberに群がる野次馬ぐらいの雰囲気で笑っていました。
そしてその人物は、さらに他のクラスにまで影響を及ぼします。
別のクラスに生徒が殆ど男子だけ、そんなクラスがあったのですが、そこに僕に関するある事ない事噂話を広めたそうなのです。
移動教室の際、まだ他のクラスは授業中だったのですが、いつも通り廊下を歩いていると、その男子クラスに差し掛かった時、突然教室の中からわたしに向かって、【殺すぞ】
【しね!】などと大勢から罵声を浴びせられました。
その後、毎日、朝から帰るまで、私を見かけると罵声を浴びせる。
そんなことが、実際高校生活がおわるまで続きました。
二年生の三学期が始まる頃。
その頃、私は学校で誰とも言葉を交わすことはなくなっていました。
授業で当てられてもだんまり、先生になにを言われても、
何か言いたくても声が出なくなっていました。
三年生に上がり、状況は変わらず。
毎日のように罵声を浴びせられていました。
それを見ている先生も【ほらほらやめなさい】と言うだけです。
先生の目にはどう写っていたのでしょうか。
今となっては知る術もありません。
三年生の一学期終わり。ちょうどみんなが進路について決める頃、体調を崩して入院していました。
その間に夏休みに入ってしまって、退院してから学校に呼び出され進路について話しました。
進学か就職か。
わたしは即答で就職の道を選びました。
誰とも話さなくていいような仕事を選びたい。
そう思っていたからです。
夏休みが終わって二学期になり、すぐに自分の卒業後に働くところは決まりました。
あとは日数を消化して卒業さえすればこんな生活から解放される。
それが少年のモチベーションでした。
だが、この時の少年のメンタルは、自分が思っている以上にボロボロだったのです。
いつものように罵声を浴びせられ、誰とも話さずに1日をすごし、自転車に乗り帰ろうとした時。
突然手がふるえだし。何も考えていないのに勝手に涙がボロボロと止まらなくなったのです。
その時のわたしの心はと言うと。
【無】です。
なんの感情も持っていませんでした。
なのに。
涙がとまりませんでした。
二学期の半ば、文化祭の準備に追われている中、わたしは一人でクラスの外にいました。
もちろんわたしの居場所はどこにもないからです。
すると、担任に呼びだされました。
『どうしてみんなに協力しないんだ!』
私はどうせ話しても無駄だろう。
と前回の事もあるので思いましたが、担任が別の先生だと言う事もあり、事の次第を最初から今に至るまでの出来事を話しました。
声もスムーズに出せず、言葉も出ないなか話したので、聴いている側も苦痛だったかもしれない。
しかし、少年は必死に自分の状況を訴えました。
その結果、帰ってきた言葉は私を奈落の底に突き落とす事となった。
【先生の目からはそんなふうには見えない。自分からみんなと距離を取って勝手にそうゆうふうに思っているだけなんじゃない?罵声って言ってもおふざけのうちでしょ?自分が変わらないと何も変わらないんだし自分から話しかけたり努力しないと。そうやって言う前に何か自分で努力したの?】
これを境に私は完全に心を閉ざしました。
この頃には既に、家族とも一言も話さなくなっていました。
わたしは家族にこの事を悟られぬように、引きこもっていましたが、好きなゲームをずっとやっている。と思ってもらえるような状況を自分で作っていました。
ですから今でもその当時の話をすると親からは【ずっとゲームばっかりしてたよね】と言う言葉が出てきます。
何故親に相談しないんだ。
そういう声がたくさん聞こえてきそうですが、
考えてみてください。
今まで自分を可愛がり、育ててくれた。そして一生懸命働き稼いでくれたお金で学校に行かせてくれた。決して安くはない学校の制服、そして教材などを買い与えてくれた。そうして学校に送り出してくれている親に、
元気に毎日しっかりやっている。と信じてくれている親に、どうしてこんな事が言えるでしょうか。
これを、知った親は
どんな気持ちになるでしょうか。
それを想像しただけで
考えただけで
今でも胸が張り裂けそうになります。
ですからわたしは、未だに親にこの当時の話をしたことがありません。
高校生活が終わり、社会人として働き出し数ヶ月が経った頃、わたしは未だに誰とも話せずいました。
当時の職場仲間からは桁違いの人見知りと思われていたらしいですが…
その頃にわたしは実はやはり大学にいきたいと思いもう一度勉強しなおしていました。結果、翌年に仕事をしながら大学へ通いだすのですがそれはまた別のお話でございます。
25歳頃、
住宅販売やリフォームの会社に転職、
配属されたのは営業。
話す事がいまだに苦手、というかほぼ話せないに等しい私が営業です。
意味がわかりません。
しかし、嫌々ながらもお客様のお宅に訪問して見積もりを出し契約をもらう。
この仕事でわたしはそれなりに良い業績を残していきました。
自分でも疑問でした。何故自分如きが…?と
その時の先輩に言われました。
【営業は、人見知りとか、人と話すのが苦手ってやつほど向いてたりするんだよ。
自信満々なやつが営業しても胡散臭く見える時があるだろ?
でも、おまえみたいなやつが話すといい事も悪い事もフラットに見てくれてるような、全部話してくれてる、信頼できる、そんな気がしてくるって事があるんだよ。】
この言葉がきっかけで私は、話すと言うことを練習するようになります。
これまでゴミのように扱われてきた自分の存在を認められた気がして嬉しかったからです。
テーマを決めてフリートークを15分やる。
途切れたり達成できないとできるまで繰り返す。
これを毎日やっていました。
そしてこれは実は15年経った今も続いています。
いじめというのはその時だけの事ではありません。
加害者側は罪の意識もなくその時だけのことかもしれませんが、被害者側は、一生それに付き合っていくのです。
今、誰かをいじめているという人はその事をよく考えてください。
そして、いじめをただ見ているだけの傍観者の人も、よく考え、行動してください。
そして最後にいじめに苦しんでいる人へ伝えたい。
わたしはいじめに遭っていたその現場からは逃げずに耐えた。それはさっきの親の話があるからです。
しかし、みなさんには分かって欲しい。
逃げる事は、悪ではない。
辛ければ逃げていい。
今あなたがいる場所、そこだけが
あなたの全てではないのだから。
辛ければ、自分一人では解決できないのであれば、
逃げるべきです。
そして新しいステージに立ち、もう一度別の自分の生き方をしてください。
苦しい、辛い、死にたい。
その、感情の呪縛に縛られる必要はないのです。
そしてご家族の方も、もし、そのようなSOSを受けたのなら
どうか、その辛い呪縛から逃してあげてください。
わたしのように家族に心配をかけたくない。
そう思って平然を装う人が殆どだと思います。
どうか
そんな、家族想いな人を
守ってあげてください。
わたしは社会に出てからほんとうに沢山の素晴らしい人たちと出会いました。
そしてたくさんの優しさと支えを受けて、今こうして立っています。
いじめの現場である学校や職場などは、とても小さな世界です。
ですからわたしは声を大にして言いたい。
そんな小さな世界から抜け出し広い世界に歩き出してください!
きっとそこにはみなさんを支えてくれる、暖かく包んでくれる
そんな人達がいます。
もう一度言います。
逃げる事は悪ではない。
悪ではないのです。