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ジャングルの鬩ぎ合い

突然だが、この写真は何県何市の写真だろうか?

おそらく写っている電車から分かってしまった方もいるだろうが、これは東京都新宿区市ヶ谷で撮った写真だ。市ヶ谷はうちの近所で、今日も散歩がてらうろうろ散策していたのだが、ふと気づいたことがあるので語らせてほしい。俺は埼玉の片田舎で生まれ、大学時代に神奈川県厚木市で4年間を過ごし、今は東京23区内で暮らしている。つまり俺は"田舎→地方都市→都会"と国内における地域形成の大枠の殆どを24歳にして知っている。
そのうえで、俺は今日都会にしかない利点を言語化してみたいと思う。
それは、”ジャングルの鬩ぎ合い”が見れることだ。

都会の暮らし

筆者は今、東京23区内の都心ど真ん中に住んでいる。
田舎と地方都市の暮らしは後述するが、間違えなく俺は今都会の特別性を享受している。こう感じる所以は間違えなくタイトルにも付けた"ジャングルの鬩ぎ合い"が見れる点だ。「鬩ぐ」という言葉の辞書的な意味は俺もよく知らないが、同じ環境下で真反対の二者が己の存命をかけてぶつかり合っている、、、とそんなイメージである。先ほどの写真、まさにそうではないだろうか。列車の線路上に伸びるほどの雑草と蔦、画角に侵入してくる枝、青々と流れる川と聳え立つ高層ビル。それをかき分けていく明らかに両数の多い綺麗な電車。地元でも地方都市でも見れなかった。こんな景色東京以外で見れるのだろうか。ねじ伏せたはずの自然が抵抗の一手を見せているのか、はたまた人間の(余計な)気遣いで自然に一矢報いる余地を見せた結果なのか。うちの近所にある代々木公園に狐が来た話を聞いた時、おそらくどちらの思想もあり、結果それが共存しているとても不可思議で面白い土地がここ東京23区なのであろうと思った。まさにコンクリートジャングルと自然的なジャングルの鬩ぎ合いだ。

田舎の暮らし

俺は渋沢栄一の出身でも有名な埼玉のとある地方で生まれた。埼玉の大半は、とても首都圏と呼ぶにはおこがましいほどの田舎が広がっている。
そんな場所で俺は、生まれてから18歳までその身を置いていた。
地元には服屋が一件、本屋が一件、スーパーが二件、、、とそれ以外に特に店がない。そのため、ちょっとしゃれた服を買うにも、新作ゲームを買うにも、映画を見に行くにも、小さいころから電車に乗って隣町まで行くのが当たり前であった。本当にのどかで、普段DSかWiiで遊ぶとき以外は基本みんなで意味もなく自転車を走らせたり、空き地や山で缶蹴りや鬼ごっこばかりやっていた。うちの実家は夏になると玄関にはクワガタが、庭にはオオムラサキが来るファーブルが喜びそうな場所だった。そこには文明開化の音はなく、おそらく平成初期くらいの空気が今でも流れつづけている気がする。

地方都市の暮らし

俺は大学4年間「本厚木駅」徒歩1分の場所に住んでいた。はっきり言おう。今東京23区内に住んでいる筆者だが、本厚木駅前は並みの23区内よりも栄えていると思う。圧倒的コンクリートジャングルの真っただ中だった。少しローカルトークをさせてほしい。厚木市民なら共感できるかもだが、246沿いの醬油のおがわやがガチでうまい。ミロードのイルミネーションは結構すごい。厚木駅はしょぼすぎて笑う。
話を本題に戻すと、厚木市は一般的には「地方都市」と呼ばれる部類に入ると思う。首都からの影響を受けている(町田とか)場所ではないが、地方の人間が一極集中し、なかなか大きなコミュニティを成している場所ということだ。本厚木駅前から半径一キロ(ソニー厚木がある辺り)は本当に栄えていると思う。ただこれは地方都市ゆえの特徴なのか、そこから少し離れると急にド田舎になる。平塚・相模原と、隣接した市の近くになると俺の田舎を想起させるほどの田舎に急になるのだ。これはこれで面白い。厚木から一番近い平塚・大磯のビーチは、遠浅の海ではなく急に深くなる海なので遊泳は禁止されている。なんだか神奈川の地方情勢も海によく似ていて、各地方都市の駅の近くは栄えている(海で言うなら浅瀬)だが、少し離れると急に信じられないド田舎になる(海の深み)といった感じ。俺は大学時代原付に乗っていたのでツーリングがてらこの変化をよく楽しんでいた。だから23区内みたいな都市と自然が鬩ぎ合っている"グラデーション"の部分はほぼない。


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