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「世渡り上手なダブルスタンダード」

お読みいただきありがとうございます。
こんばんは。やさしい杜です。

「ダブルスタンダード」って言葉を初めて聞いたのは去年の今頃だった気がします。いつから流行り出した言葉なんでしょうか。

「ダブルスタンダード」の意味
対象によって、異なる価値判断や判断基準を使い分けること

『デジタル大辞泉』(小学館)

僕はこの意味を知り「あーダブルスタンダードって良くないよな」と思った記憶があります。みなさんにも上司から言われたことと顧客に向けて言っていることがずれているときとかあるんではないでしょうか。それはもうしょうがないことなんですかね笑。

まだ21歳のガキが「ダブルスタンダード」なんて語んなと思われそうですが、僕はこの考えがかなり頭にあって、本当に思っていること、あえて言い換えて話していること、思っていないことなど、伝え方、自分の感情の乗せ方に差が出ていることがとてもストレスなんですね。

ただ現状僕は「ダブルスタンダード」が上手い、というか、見せる面がそれぞれに関して一貫している人は「世渡り上手」なんではないかなという仮説があります。

これは「世渡り上手」を否定したいわけでもなんでもなくて原理を仮定したまでです。どうしてそんな色んな人に自分を見せられるんだろうという単純な疑問からきています。

というのも僕の家系に「世渡り上手」が多いんです。アドバイスも求めていないのに「世渡り法」を教えてくれるのですが、聞くたびに「大人ってホント面白くないよな」と思うんです。

「昨日言っていたこと」と「今日言っていたこと」、「半年前に言ったこと」と「今日言っていたこと」、違っていることがすごい違和感で、「なんでそんな簡単に意見を変えられるの?」と思ってしまいます。本当に伝えたいことはなんですか?と。昨日の話?今日の話?。

多分本人は忘れているか、どうでもいいんでしょうね。そんなの真面目に考えなくていいよと99%の人は言うと思います。

でも悲しくないですか。例えば自分のために話をしてくれて、アドバイスをくれた人がそのアドバイスや正義に反した行動をしていたら。え?それしていいことなの?そう思いませんか。

人間誰しも間違うことはあります。でも違うなって思いながらする行為は間違うこととはなんか違う気がします。(このこと自体に名前とかないのかな?誰か言語化してください)

僕はできる限りなくしたいと思っています。仕事上、学生と関わることが多いですが、彼らに恥じない生き方をしたいと思います。

「先生こないだはあー言ってましたけど今日は違うんですね」、なんて言われないように、言われたら素直に考えが変わったことを伝えられるように。

今思うと口酸っぱく同じことを言っていた人ってそれはそれで軸があったんだなぁ。え、僕がなりたいのってこういう人なの?笑

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