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美しき迷宮とその記述[4]

【4節】

 私はその朝を森にある黒い天幕で過ごしました。人形もそこにいます。私は朝食を済ませました。行商人が来たのはそのときです。行商人は安全な順路を示した色付き石を踏みながら、大きな背嚢を背負っています。黒い天幕の周辺は、呪術で罠を張り巡らしてあるのです。行商人は小柄な体躯に不釣り合いの背嚢を下ろしました。行商人はお辞儀をします。行商人は2つの包みを私に差し出したのです。人形にも1つの包みを渡しています。包みの1つはやはり戦技の魔導書です。もう1つは、人形に渡す緑の指輪でした。戦技は歩法です。1歩だけ俊敏に移動する戦技です。地味ですがありがたい。これで敵との距離を適切に管理できるのです。私は友に感謝の手紙を忘れません。手紙を書き終えると、人形は微笑みを浮かべて私に近づきます。私に小箱を差し出しました。人形の目を見ると、そこには愛情があります。私は目を背けて箱を受け取りました。人形が開けるように促すので、私は開封します。そこには短剣がありました。属性付きの短剣です。その属性とは致命強化でした。少し刺す動作を確かめてみると柄は手に馴染みます。私の掌に合うオーダーメイドだそうです。腰に差すにもちょうどよい大きさでした。鞘は小さなエメラルド付きです。もしものときはこのエメラルドを売ることで路銀などにする準備でした。貴金属とはそう使うためにも広まったのです。私は人形に感謝しました。私も緑の指輪を人形に差し出しました。人形は手の甲を上にして自分の左手を前に出します。私は理解すると、恥ずかしくなりました。挙動不審になりながら、緑の指輪を人形の指輪にはめようとします。人形は左手の薬指を強調しました。私は薬指に指輪をはめる意味を思い出せません。勧められるままに私は緑の指輪を左手の薬指にはめます。人形ははめられた指輪を顔に近づけました。人形は笑顔になります。その表情で人形は私に典雅なお辞儀をする。笑顔と礼儀は心にしみる芸術です。私は口元を緩めます。私と人形は、仕入れた食材を抱えて城壁にある最初の部屋に向かいました。毎月の食材は、長期保存の効くドライフルーツや小麦、塩漬け野菜と干し肉です。小麦は焼いてパンにする。塩漬け野菜はスープにします。時々、人形の機嫌がよい日は、干し肉も出ました。今日の人形は機嫌もよいので、夕食はその干し肉です。私は今日で墜天吏を殺すことにしました。


 庭の中央に堕天吏はいます。その側の地面に突き刺していた長い柄の鉈を引き抜くと、敵はこちらに歩み寄ります。私も、槍を構えながら歩み寄るのです。槍の牽制でこれ以上近づけなくなると、堕天吏はこちらを数秒だけ観察します。黒い羽根の戦乙女は、右脚を後ろに下げました。私は直感で動きません。戦乙女は小盾を空振ります。私は緊張に、冷や汗をかいて槍を敵に向けているのです。再度の観察を経て、戦乙女は回転跳びをしました。私は槍の懐に入られます。戦技の歩法で私は後ろに下がりました。1瞬前にいた位置へ、鉈の空振りが通過します。戦乙女は小首をかしげました。私は槍を向けて待ちます。戦乙女は、右脚を後ろに下げました。私は前に踏み込みます。敵は槍を払おうと鉈を振りました。その鉈に私は鳴り打ちを成功させます。戦乙女は怯みました。敵の身体に鳴動が拡散して、次に収束します。その瞬間に、私は短剣を抜いて攻撃しました。短剣には致命的攻撃の強化属性があります。致命的攻撃は成功です。戦乙女は仰向けに倒れました。私は短剣をしまうとその戦乙女に槍を突き刺します。倒れた状態では敵の鳴り打ちは不可能です。1度は刺さりました。2度目を刺そうと槍を引き抜くと、敵は回転跳びをします。飛び退いて私の刺突は躱されました。少し距離を置いて私と戦乙女は左右に歩きます。私は根気よく槍を構えて牽制します。左右に歩きながら徐々に近づくと、戦乙女は右脚を後ろに下げました。私は後ろに身を投げます。背中から着地した私の視線のさきでは、戦乙女が鉈の柄を逆手に持ちました。振り下ろして、私の足元に刺さります。当たりはしません。私はその間に起きあがります。そして私は槍を構えるのです。ムラッ気を出して基本戦術を疎かにしません。実はそれをして何度か死亡しています。もう戦乙女との戦いで死亡は500回を超えていました。私は気の迷いを出す気にもなりません。私は槍を牽制のために構えるのです。戦乙女は右脚を後ろに下げました。私は前に踏み込みます。敵の動かした鉈に、私は鳴り打ちをしました。それは成功です。敵は怯みます。私は短剣で致命的攻撃を加えました。戦乙女は背中から倒れます。私は短剣をしまいました。私は追撃で、槍を刺します。1撃は入りました。敵は回転跳びで下がります。そして私は槍を構える。私に感慨はありません。もはや、この戦闘は本能で動いています。戦乙女は後退しました。鉈を掲げると、そこに雷が飛来します。鉈に雷属性が付与されました。あと1回か2回で戦乙女は倒せるのです。しばらくの戦闘を経たのちに、私は3度目の致命的攻撃を敵へ成功させました。戦乙女は倒れます。私は槍で追撃します。1撃の刺突は成功してあとは回転跳びで躱されました。私は槍を構えます。戦乙女が膝をついたのはそのときです。私は戦乙女とあえて距離を取りました。長槍2つ分の距離で、敵を観察します。戦乙女は黒い羽根を広げました。私は警戒します。戦乙女は羽ばたいたのです。よろよろと高度を上げると、城の方へ去りました。私はそれを呆然と見上げています。感動はありません。仕留め損ねたからには再戦もあり得るのです。 空に叫声が響きました。私はその方向を見ます。ガーゴイルが女性を乗せて頭上を飛行したのです。それは奥の塔から城の外側に出ると表門付近に急降下しました。私は意味を分かりかねます。状況を推察するのに時間を要しました。今回の魔女は人間味があるのです。それは下見の段階で考察していました。奥の塔で生活している忌み子も、魔女との関係は明白です。今回の個体は、普通の魔族のように本能が希薄ではない。普通の魔族なら、未来を悲観しません。今回の個体は、未来を悲観するのです。私は爆発音を聞きました。最初の部屋が攻撃されたのです。私は黒い天幕にダメージが入るのを知覚しました。あの部屋には黒い天幕に繋がる大壺と、そして人形がいるのです。私はガーゴイルが飛翔するのを見ました。それに乗る魔女は人形を茨で縛り上げています。

 私はそれを見上げながら短剣を抜きます。短剣は人形からの贈り物でした。私はその短剣を眺めます。自分の首筋に刀身を当てました。私の覚悟はできています。私は短剣を勢いよく引きました。意識は暗転します。森の黒い天幕で私は目を覚ましたのです。


 私は黒い天幕を隠していた茂みの覆いを掴みました。槍を捨て、長剣を装備すると、ガーゴイルが着地すると予測できる丘の上を避けて、私は大回りに森から出ました。私は丘の下に茂みを被って潜むと、ガーゴイルの叫声が鳴ります。私は息を殺して、ガーゴイルが着地するのを待つ。ガーゴイルは想定通りに丘の上に着地しました。茂みの間から丘の上を見ると、ガーゴイルが森に炎を放射しています。魔女は人形を茨で組み伏せている。その魔女は、城のほうを警戒しています。私が城から出てくるのを待ち構えているのです。魔女の左後ろではガーゴイルが、森にある黒い天幕の防衛機構で反撃を受けながら、森を攻撃しています。魔女とガーゴイルの右後ろから私は忍び足で魔女の背後に近づきます。私は魔女の後ろ姿を見ました。茶髪の少女です。魔女特有の派手な装飾は付けていません。ローブに革服を来た普通の少女に見えます。私は本当に普通の魔女とは違うのだと理解しました。私は魔女の背後に近づいていると、ガーゴイルが後ろを振り返りました。ガーゴイルは吠えました。私は咄嗟に、腰に差していた短剣を魔女に投擲しました。魔女が振り返るよりも早くに、それは彼女の背中に刺さります。茨が解けて人形は解放されました。そのとき私は過ちを冒したのです。魔女を殺そうと接近するよりも、人形の側に足が進んだのでした。私は人形を背中に庇い魔女へ長剣を向けます。魔女は背中の短剣を抜くと、呪詛を吐いて私に向き直りました。人形は私の腕にしがみついて震えています。その手の力が弱くなっていきました。私は横目に人形を見ると、その目には軽薄な感情があります。私は自分の過ちに気づきました。人形は義務と契約を忘れる人間を愛さない。そう作られているのです。私は人形からの愛情が希薄になってゆく様子を見ました。魔女は私に吠えて、そして泣きだしたのです。私はそちらを見て、驚きました。魔族が泣いているのです。私は長剣を下ろしました。魔女は1人の少女として、母親として、泣き言をまくし立てました。私は瞠目して、それを聞きます。私は辛くなりました。魔女は我が子の助命を訴えるのです。私は驚きから冷めて、温かみのない善心が湧きました。私はこの城で何度も死にました。それを鑑みれば温かい感情は湧きません。それでも、冷たい善心が湧いて出でたのです。私は眼の前にある光景を眺めます。母親の涙がありました。

 魔女と堕天吏は、自ら魔族裁判に赴くつもりなのでした。その条件は魔女の子を助命することです。私は知り合いに手紙を書きました。忌み子の魔術師が知り合いにいるのです。その魔術師なら、魔女の子供を保護してくれる。返事はやはり保護の受け容れです。魔術師はその子と隠遁しました。人形には、忌み子の容姿を報告書から削除するように命じます。人形はその命令を淡々とこなしました。後日に魔族裁判の判決は、戦役刑なのを聞きました。能力の大部分は封印されて、人類の尖兵として1生を捧げる刑罰です。



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