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【第二人類安田現象と母の呪縛】〜ものづくりアニメ映画としてみたメイクアガール〜



前置き

 「ガールズバンドクライ」「夜のクラゲは泳げない」「トラペジウム」「数分間のエールを」「ルックバック」「きみの色」「八犬伝」など、2024年は、そこかしこで夢や創作を振り返る作品が多かったと思う。この先、自分たちはどのようなものづくりをおこなっていけばいいのかを考えるターンでした。

 そんな中現れた大型新人の安田現象監督の初の長編アニメ映画「メイクアガール」は、良くも悪くも話題になっていて、自分も興味本位で観に行きました。

 話題通り、一癖も二癖もある作品で、評価が難しい印象でした。しかし、作品の良し悪しとは関係なく、この作品について考え、一言何かを言いたくなるくらいには、高い『温度』を感じる作品だったと思います。
 それは同時に、監督はこの作品の制作に真摯に向き合った結果なのではと思うので、私はそこだけははっきり「良い作品」であったと評価できます。

くだらない世迷子ですが、私はメイクアガールを「ものづくり映画」として観た時の面白さについてまとめようと思います。

「0号」と「綾波レイ」の共通点


 メイクアガールは本質的に世界系の作品では無いし、庵野秀明の作家性を受け継いでいる訳でもない。が、この作品はエヴァからの影響を如実に感じる。
 0号ちゃんはドールであり、母親であり、恋人であるように作られている。これは明らかに碇ユイに似せて作られたドールである綾波レイ系譜のキャラクターであるし、無知で純粋な存在が人間性を獲得していくのも共通している。作品から醸し出す近未来的な雰囲気は第3新東京市を連想させるし、「第三人類」など、作中で登場する重要なキーワードに対する説明が一切ない部分からも、エヴァンゲリオンなどの過去作からのリスペクトであると思う。

第三人類とは何なのか

 これを踏まえて、ものづくり映画としてこの作品を観ていくと、メタ的な面白さがある。
 第二人類である水溜明=安田現象として考えるなら、母である水溜稲葉は本当の母親ではなく、作家「安田現象」を構築したものづくりとしてのマザーなのだ。

 庵野秀明、だけとは言わないが、新海誠、宮崎駿など、「ものづくりの天才としての先人」の象徴が、水溜稲葉なのではないか。そうした先人によってこの世に作家として生まれ落とされた安田現象は、先人たちの残した技術を使い、何を求められているかもわからないまま新たな作品を作ることになる。

 第一人類が「ものづくりの先人達」で、第二人類が「安田現象」であるなら、第三人類は安田現象自身が生み出す作品に他ならない。
 作中で水溜明は母親の残したラボで研究を続け、様々な物を作ろうとするが失敗ばかり。偶に制作に成功しても、明は「母さんの技術の流用だから、母さんが作ったようなもの」と自虐する。それは、作家として安田現象自身が先人に劣等感を抱えて、自身が作ったジャンクの山に苦しんでいるようにも見えなくもない。

被造物と母の呪いとの対立

 明が作り出した0号は、やがて明の想定を遥かに越えた行動を行い始める。そしてその0号の障害になっているのが、「被造物は主に逆らえない」というプログラムとの対立だ。
 製作者の想像を超えて行動していくのに製作者に抗えないというこの構造がまさに「創作キャラクター」であるように思う。
 人間性を手に入れていく0号だが、時折その瞳は黄色くなり、その時決まって明の母である稲葉が顔を出し、彼女の行動の障害となる。
 作中で0号ははっきり「コレに抗うことが自身の存在を証明する唯一の方法」と明言している。
 つまり、創作において抗うべきは、自身の生み出した作品の中に絶対に存在する「母親」であり、   創作におけるただの「再生産」から唯一無二の「本物」に変身(メイク)していかないといけないという話ではないのか。0号は綾波レイから生まれたキャラクターかもしれないが綾波レイではないし、それを生み出す為には、作家自身に牙を向くほどに、頭の中の想定を超えていかなければならないという話にも見えてくる。

ラストの0号について

 ラストの0号のセリフは、安田現象が自身の力不足を実感し、それを吐露しているようにも取れる。その後0号は死に、最後に彼女の体を母が借り、明の前に姿を表すのは、現段階では力が及ばず作品そのものが「再生産」になってしまったと認めたのではないか。
 それは、裏を返せば真摯に創作に取り組み突き詰めた先の結果なのだと素直に認めたということで、とても正直であるし、当たり障りの無い結果でお茶を濁さなかったことにも好感がもてる。
 安田現象は水溜明と同じように文句を腹の中に溜めながら、地道に次の作品の制作に取り組んでいくのだろう。


海中絵里について

 彼女も水溜明と同じく、自身の才能に苦しんでいるキャラクターである。が、これは自分が先人に対して劣等感を抱いているように、自分に劣等感を抱く同業者と言った感じだ。
 この視点を持っていることは意外と重要で、今後のものづくりに対する自身の立ち回り方を見直すこと。チームで制作を行う為に彼女とどう向き合うかを考えなくてはならないかという、安田現象の残課題の一つであると思う。

最後に

 正直言って、上記の話を正しいとは思いません。もっと緻密な設定が組まれ、今後説明される時が来るかもしれません。
 が、私は作品には様々な見方があると思いますし、本来作者が想定したものとは違う受け取り方をして、バッシングを受けた作品も世の中には多々あります。
 ただ、少なくとも私はこの作品を通して安田現象という人間のことを強く感じ取れたと思っているし、既に制作が決定している次作も楽しみに待っています。


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