ラブ色キッチン
引越し屋さんのトラックが行ってしまうと、がらんとした部屋がやたら広く見えた。
この部屋に六年も住んだんだな。もっと居た気もするけど。あっという間だった。
ほこりの積もる和室の隅には、家具の後ろに落ちて取れなかったものが取り残されていた。せんたくばさみや、ヘアゴム、使いかけのマニュキア、使っていない綿棒やカット綿まである。一度も掃除してないんだな……。
その中に、いちまい、写真があった。ほこりをよけながら拾い上げる。
はしっこがよれている紙切れの中には、微笑むカップルが写っていた。背景は見慣れている。顔をあげると同じ景色があった。
この部屋で。幸せそうに笑う私とあの人の姿。
****
「ちょっと、野菜切るのでかすぎるだろ」
「え、そうかなぁ?」
「しかも均一じゃねーし。貸してみ」
私はあっさりと包丁とまな板前の場所を奪われた。司はトントンとリズミカルな音を立てて私が切ったにんじんを細かくしていく。その手つきはあざやかとしか言いようがない。
「同じ大きさで材料は切らないと。火の通りが均一にならないだろ」
「そうなんだ……」
「そうなんだ、っておまえ」
「だってやったことないからわかんないんだもん」
高校を卒業するまでママの作ったご飯しか家では食べたことないし。ママは無類の料理好きで、パパが水割りの氷を取りに冷蔵庫へ行くだけでも怒る。キッチンに他の人を入れたくないらしい。
だから私も調理実習以外で生の野菜を見たことないし。そう言うと司は呆れて、
「でもおまえ、これからどうすんだよ」
「司が作ってくれればいいじゃん」
「俺が料理を作んのは桃加だけなの」
桃加ちゃんは、司の歳のはなれた妹だ。パートに出ているおばさんに代わって、司は中学生の時から家事をやってる。私はただの近所の幼なじみ。
「いいじゃん。司もここで新メニューの練習とかしなよ。私が試食するし。ついでに色々教えて」
「なんで俺がキリなんかに……」
高校を出たらひとり暮らしをするというのが私と両親との約束で、パパとママもやさしいけどちょっとうざいなとも思ってたから、家を出られるのは嬉しかった。
何より司の家が近くて、色々やってもらおうとすっかりアテにしていたから。
「それじゃひとり暮らしの意味ないじゃん」
「そんなことないよ。司の見て私も覚えるし。教えてよ先生」
「先生……悪くない言葉だな」
司があごに手をあててニヤリと笑ったりするから、私はゲラゲラ笑った。
毎日ではなかったけれど、司は家に来てご飯を作ってくれた。私はアシスタント兼おちこぼれの生徒。司先生は口が悪くてすぐ手が出るけど、うまくできるとちゃんとほめてくれた。私の腕はめきめき上がった。
付き合ってるわけじゃないのに、うちのキッチンには司専用の食器が並び、ときどき私がまかされてご飯を作ることもあった。それでも、不安なのか私がキッチンに立っていると司がいつの間にか近くに来て、私の手元をのぞきこんでいたりする。
「なに? 大丈夫だよ?」
「いや……手際とかそういうのってなかなか身につかないし」
「大丈夫だってば」
私が苦笑いをしながら言うと、司はしぶしぶ下がっていった。
今日のおかずは肉野菜炒めと豆腐のお味噌汁。たまねぎとにんじん、小松菜を同じ大きさ・太さになるように切る。えのきと豚バラも同じように。塩コショウで味付け。司は濃い目が好きだから、コショウをひと振り多く。
味見をして、よし、と火からおろした。湯気の上がっているのを盛り付けて、司の待つこたつ兼テーブルへ。
「お待たせしましたー」
なぜか司は神妙な顔をしていた。私はそのしかめ面にも見える顔に爆笑寸前だったけれどなんとかこらえた。
「お先にどうぞ」
「いただきます」
ひとくち食べて、司が、
「うん。うまい」
とこれまたまじめくさった顔で言って、私はそこでほっとして箸を手にした。さっきも一応味見したけど。炒め物をひとくち食べる。コショウの利いた、ちょっと塩分強めの味。司好みの。
「まさか貴里がこんなに料理上手になるなんてなー」
「先生がいいからだよ」
「そんな、ほめんなって」
お互いをほめあって、なんか恥ずかしくなってきて二人で笑った。顔が熱い。笑いが収まって司の顔を見ると、真っ赤だったからまた笑いがぶり返した。
「笑うんじゃねぇ」
「だって」
同じこと、考えてたから。
あんまり笑うのも失礼だし、残りのご飯はおとなしく食べた。ちょっとしょっぱいんだよなー。司がいいって言うからいいか……。
「貴里はさ、いないの?」
「何が?」
「メシ作ってあげる相手」
何を、いきなり司が言い出したのかわからず、私は首をかしげた。
「別に? パパはママの料理があるし……」
「だから。男だよ」
「いないよ! そんなの。司だけだよ」
言ってから、しまった、と思った。でも言ってしまったものは後には引けなくて、私は冷や汗が出るのを感じた。
「あ、そういう意味じゃなくて! 司は、ほら、なんていうか」
「貴里」
私のしどろもどろな言い訳は、司の強いことばに遮られた。
「それ、良い意味に取っていい?」
まっすぐに。私を見つめる司の目に、私は何も言えなくて、でも返事はしなきゃいけなくて、こくこくと何度も首をタテに振った。
「本当に、おまえの男になってもいいかってことだよ?」
「……い、いいよ」
ズバリ言われて、私の顔がまたカーっと熱くなったけれど、もう恥ずかしいとかそういうの通り越して、司かっこいいなぁと目の前の男のひとに見とれていた。
いつもの部屋なのに、いつものご飯なのに、司はいつもの百倍はキラキラしているようにみえた。
「マジ? やったー!」
「ちょっとちょっと!」
そのまま抱きついて顔を近づけて来ようとするのを、私はありったけの力で抵抗した。
「なんだよ、もう恋人なんだろ俺たち」
「だから!ご飯食べてからにしてよ!」
せっかくの初キスくらい、もうちょっとロマンチックな感じにしたいんだから。
****
私は写真を床の上に落とした。がくりと膝をつく。忘れていた。司との幸せな日々。
二人とも子供で、世界は二人だけのためにあると思っていた。
携帯のメロディが聞こえてきて、私は涙にぬれた顔を上げた。のろのろとカバンに近づいて、携帯を取り出す。メールが一通。
『あと十分くらいで到着予定』
文隆さんだ。約束していたよりも十五分は早い。さすがだな。
彼がこの部屋に来るの、今日が初めてなんだ。そのことに今更気付いた。いつもは彼の家で会っていたから。新しい家に持っていくものが多すぎて驚くかな。でも文隆さんは司と違って大人だから、にこにこしながら「貴里ちゃんが必要なものなら何でも持ってきていいよ」って言ってくれるかな。
「あいつの笑顔は信用できねぇ」司が文隆さんについて言った第一印象。いやその評価はずっと変えなかった。まだその頃は会社の上司として紹介していただけなのに。ずっと仏頂面で食事をしていた司。にこにこ笑顔を絶やさなかった文隆さん。
彼が来るまでに、少しでもこの部屋をきれいにしておこう。ちゃんとした女に思われるように。あと、司の跡も消しておかないと。
床の上の写真を拾って、びりびりと引き裂いてゴミ箱に入れて、私は涙の跡の残る顔をぬぐった。
今夜、引越しが片付いたら、文隆さんに肉野菜炒めを作ってあげよう。
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学校の課題で書いたもの。タイトルがめちゃくちゃ気に入っていて、付けたとき、わたし天才!と思ったことは覚えています笑。
過去の恋愛ものって書きやすくて、この頃はこういうテイストのものをよく書いていました。でも当時の専門学校のクラスメイトに、「大人の恋愛ですね。。。」とか感想をもらったような。今読むと、ぜんぜん若者の恋愛ですね。
私は恋愛小説を書いて生きていく、と信じていた頃の作品なので、愛おしいです。ずっと大切な作品のひとつ。