今年の目標は「休む。たくさん何もしない」
2021年になった。
年末年始は暦にいろいろ休みをくっつけ、10連休もあった。ありがたいことに。しかし、何かと忙しかった。仕事の勉強だったり、部屋のいろんな掃除だったり、なんだりで、1日1日いろいろした。
また、九州温泉巡りもした。そして、憧れのサンライズ瀬戸に乗った。
そのためかなり疲労した。先週は10連休にいきなり平日5日間のフルコンボだったためか、火曜日くらいから扁桃炎になってしまった。
にもかかわらず、火曜日・水曜日は普通に仕事した(在宅)。
とにかく、いろいろした。
今思うと、生まれてからずっといろんなことをした。
2018年、役人だったときに適応障害になり、1ヶ月半仕事から完全に離れたとき。
仕事を投げ出した、という自己嫌悪を持ちつつ、家には居場所がなく、同居する母親からは避けられ、唯一会話したのは「結婚相談所のお金、どうする?」だった(誰が入るか)。なんとか信頼できる九州の友人のもとに少しの期間行ったものの、今思えば「休むべき時に、ゆっくり休んでないな?」と思う。
ちなみに、今自分が考える休むの定義は
「なにもしない、あるいは心からやりたいことをやる」だ。
特にメンタルを病むと、今の自分を否定しているため、過去を後悔し、それ故に「なんとかしなきゃ」という焦りが生まれてしまう。しかしそれをする体力や思考力が失われてしまっているため、それができずさらに自分を否定するという恐ろしいスパイラルに入る。
そのため、この「休む」というのは自然に身を任せていてはできず、意思を持って行わなければならない。
この辺の休むという概念は、借金玉さんという方の本に影響を受けた。
話を戻すと、僕はあまりに「休んでいない」ことに気がついた。
だから、今年こそはとにかく「休む」。
母親からも離れ、実家の住宅ローンという地獄からも手を切った今(そのために奔走した2020年の自分に感謝)。
あと僕が休むのに必要なのは「休むという意思」だけだ。
これも借金玉さんの本からだが、具体的には、月4日は完全に休む日を作る。休むことのみがその日のスケジュール。
連休の日はビジネスホテル外こもりする。温泉のついたビジホにこもって、だらだらする。何かしたいことがでてくるまで。退屈を感じるまで。何かしたくなったら、それをする。
一人になって休んでいると、内省が深まる。ちなみに僕はストレングスファインダーで圧倒的1位が「内省」だったので、向いているのだろう。
この3連休は日曜からビジホにこもっている。なにもせずゴロゴロしていた。有言実行だ。
今年はたくさん「休みます」。