[処女は恥ずかしい?]処女の歴史⑩日本人の恋愛と結婚・1980年代の結婚と女性の働き方
こんにちは。40代で「彼氏いない歴=年齢」&「おひとりさま」の占い師(占いカウンセラー)・可憐(かれん)です。
前回は、1980年代のメディアの様子を見ることで、処女の歴史を振り返りました(→前回の記事はコチラ)。
今回はその続き、80年代の恋愛、結婚、処女の歴史をお送りします。
平成(1989~2019年)
1989年、年号が昭和から平成へと変わります。
「恋愛至上主義」のトレンディドラマが放送された1980年代後半~90年代前半。
同じ頃が「バブル景気」でした。
景気のいい時、人は物を買い、カネを使う消費行動に走ります。
そして恋愛をするには、デートでどこかへ行く(ジュリアナ東京に代表されるディスコとか、苗場スキー場に代表されるスキー場とか、海外旅行とか)、車を買って維持してドライブする、イタリアンレストランで食事する、シティーホテルに宿泊する、プレゼントを買う、デート用の服を買う、メイク道具や化粧品を買う、ヘアスタイルを整える・・・といった消費行動がともないます。
ここで「バブル期の恋愛」についてご紹介します。
バブル期の恋愛
私・可憐が高校生の頃、若い女性の先生が雑談で言っていたことには、
「夕方になると、名門女子大学の外の道路に、大学生の彼女を迎えに来た男性たちが乗る高級外車がズラッと並んでいた」とか。
以下は、世代・トレンド評論家の牛窪恵氏の実体験。1968年の生まれで、就職したと思われる23歳頃は、バブルまっただ中の1991年。
「アッシー、メッシー、ミツグ君」とは、それぞれ「アシ(足)代わりに車で女性を送迎する男性」「メシ(飯)をおごる男性」「高級ブランドなどの金品をミツグ(貢ぐ)男性」のこと。
これらの男性を用途別に使い分ける女性もいたとか。
バブル期の「彼氏・彼女がいる」率
そのため、当時は「彼氏・彼女がいる」率も高かったようです。
バブル期の就職・入社後
そして、バブル期の都市伝説には、就職前後のものも数多いです。
たとえば、
「会社説明会へ行くだけで内定がもらえた」
「『今年の入社は、〇〇大学の××学部から30人、△△大学の◎◎学部から20人』などのように採用していた」
私の会社の先輩(男性・転職組)は、
「内定をもらった後、ヘリコプターで東京上空を一周する接待をされて、生まれて初めてヘリに乗った」と言っていました。まだ大学生なのに接待されるとか・・・。
入社後の都市伝説には、
「ボーナス袋が札束でパンパンで直立した」
「給料が毎年100万円ずつ上がった」とか。
・・・30年ほど前の日本、80年代後半~90年代前半のバブル期の話です。
(※ちなみに、私・可憐はその後の就職氷河期にひっかかった完全な「ロスジェネ世代」なので、恋愛や就職でバブルの恩恵を全く受けていません)
女性の働き方に変化が起こった85年
なお、このバブル期の都市伝説、
「会社説明会へ行くだけで内定」「××学部から数十人採用」「内定後にヘリで接待」「ボーナス袋が直立」「給料が毎年100万上がった」
これらの恩恵を受けたのは、おそらく全員男性です。
それまでの会社内はコテコテの「男尊女卑」社会でした。
前々回の記事で書いたように、女性の結婚適齢期は25歳。「クリスマスケーキ」と揶揄され、26歳を過ぎたら売れ残り。会社に勤めるのは結婚するまでの一時的な「腰かけ」とみなされていました。
(→60~70年代のその記事はコチラ)
そして社内では、
・女子は男子より毎朝30分早く来て、お茶とコーヒーをセットするもの
・全員の机を拭いて洗い物をして、会議のお弁当と灰皿を替えるのが当たり前
・男子と同じ仕事を任されても、コピー取りやフォローの電話は女の役目
・社内結婚したら「女が辞めるべき」と退職を余儀なくされた
・(牛窪恵氏も)26~7歳のころ、一部のオジサンたちに「まだいたの?」と肩たたきに遭った
*(職場の)「肩たたき」とは?
上司が部下に「そろそろ辞めたら?」と退職をすすめること。
90年代前半までは、おもに結婚適齢期の女性社員に行われた。
バブル崩壊後はリストラ目的で中高年男性に対し行われるケースも。
しかし80年代には、25歳までに結婚して仕事を辞めなければならなかった女性たちに、大きな変化がありました。
1985年、「男女雇用機会均等法」制定、翌86年施行。
これは企業に対し「女性を採用段階や採用後に、男性と差別(区別)して扱ってはならない」とする内容。実際に社会に浸透したのは、雇用上の女性差別が「禁止」とされた1997年の法改正前後のこと。
85年の均等法制定と97年の法改正。
その過程で入社した「均等法第1、第2世代」と呼ばれるのが、
「バブル世代」(65~70年生まれ、現54~64歳前後)と
「団塊ジュニア」(71~76年生まれ、現48~53歳前後)
この2世代が、女性が一生働ける職場を手に入れ始めた、最初の世代です。
それまでは、女性は25歳頃までに結婚して辞めなければならなかった。
けれども、均等法のあとは、女性でも一生働ける職場を手に入れることができたのです。
女性の経済力
女性が自分で働いて、お金を得ることができるようになったのは大きな変化です。
私・可憐がカルチャースクールで一緒だった70代の「団塊の世代」の女性は、20代前半でお見合い結婚してからずっと専業主婦。
「カーディガン1枚、自分のために買うのも、夫におうかがいを立てたり、お願いしたりしなくてはならなかった」と言っていました。
江國香織の短編小説にも、同じように「今月のおこずかいでこのブラウスを買わせていただきました」と専業主婦の妻が夫に報告するシーンがあったと覚えています(どの小説か不明)。
このように、80年代後半から90年代にかけて、女性が働き続けることができるようになって、経済力を持てた。
それによって、女性は自分の稼いだお金で自由に、恋愛や消費行動を楽しめるようになったのです。
前回の記事で書いた、「80年代の恋愛+セックス至上主義」は、こうした背景もあって加速したものと思われます。
(前回の「80年代の恋愛至上主義」はコチラ)
80年代の結婚――「皆婚」はまだまだ続く
この「処女の歴史」シリーズでほぼ毎回、データを出している、国民のほぼ全員が結婚する「皆婚」状態。
では、前回の記事で見たように、「恋愛至上主義」の空気が蔓延し、女性が働けるようになった80年代の「結婚」は、どうだったのでしょう?
「皆婚」状態の様子:
*大正14年(1925年)には50歳までに結婚したことがない男女がそれぞれ2%を切り、98%以上の男女ほぼ全員が、生涯で一度は誰かと結婚を経験していた。
生涯未婚率(45~49歳と50~54歳の未婚率の平均値)
1920年:男性2.2% 女性1.8%
1930年:男性1.7% 女性1.5%
1940年:男性1.7% 女性1.5%
1950年:男性1.5% 女性1.4%
1960年:男性1.3% 女性1.9%
1970年:男性1.7% 女性3.3%
1980年:男性2.6% 女性4.5%
(牛窪恵『恋愛結婚の終焉』光文社新書 2023年p.34)
「皆婚」社会になったのは、1920年代(大正時代)。
当時は、明治民法が定めた家父長制的な家制度のもとで結婚が勧められ、「結婚しない」という選択肢がほぼなかったから。
昭和初期の戦前30年代と戦中の40年代は、「産めよ殖(増)やせよ国のため」という国策の結果。
高度経済成長期(50~70年代)は、親が決めた相手ではなく、職場などでの自由恋愛ののちに結婚するケースが増えたため。
60年代後半で恋愛結婚がお見合いを上回ります。
70年代に、女性の未婚率が3.3%とやや上昇していますが、「ウーマンリブ」「性革命」といった女性解放運動などの影響があったのかもしれません。
そして80年代は、男女ともに未婚率が微増しています。
それでもまだ9割以上の人が生涯で一度は誰かと結婚していた、「皆婚」状態は続いていました。
なぜ80年代にもまだ「皆婚」だったのでしょうか?
その理由が以下になります。
・85年に「男女雇用機会均等法」が成立、97年に改正されたが、すべてが一気にガラッと変わったわけではなかった。
・女性が一生働き続けられる職場は(自営業などを除き)、非常に数少なく、まだ「女性は結婚しなければならない」「結婚するよりほかに選択肢がない」状態は変わらなかった。
・入社3~4年目に「まだ結婚しないの?」と社内で揶揄されるなど、いわゆる「肩叩き」が横行していた。
・80年代に20代だった男女の親は、多くが戦前生まれ。
80年代初頭までは、専業主婦の世帯が約3分の2。
親から「結婚しろ」とプレッシャーをかけられ、居心地がよくなかった。
・80年代までは「男は結婚してこそ一人前」と見られ、男性も仕事上、結婚することにメリットがあり、デメリットがなかった
・80年代はまだ男性は会社員ならほぼ全員が正社員だった。
・当時の日本企業はまだ終身雇用や年功序列制度が根強く、リストラが公然と行なわれることもほぼなかった。一定規模の企業に就職すれば「一生安泰」といった気運があり、安心して結婚できた。
・まだ日本全体が経済成長していた時代なので、「結婚すれば、家を出て仕事も辞められて、生活も豊かになって、いいことが待っている」と信じられた時代でもあった。
「女女格差」の誕生
それまでの女性の働き方といえば、こんな感じ。
バブル世代の浮かれた都市伝説などを見聞きすると、「遊んでばかりで働いてないのでは?」と思われるかもしれません。
もちろん、そういう人もいたでしょう。しかし実は、当時の流行語に「24時間戦えますか?」があり、男女問わず残業やハードワークをするのが当たり前でした。
牛窪恵氏のように、結婚・退社せず会社に残ってバリバリ働けることがうれしい、と思う女性がいたのも事実です。
しかし、「男並みに残業、ハードワークで働かされる」女性がいたのも、事実です。
80年代に「均等法」ができて、女性も男性並みに働いて、稼げるようになった――とはいえ、実情は次のとおり。
たとえ結婚していても、「103万円の壁」「130万円の壁」と呼ばれる税制や社会保障制度があります。
このため、103万や130万など、一定の収入を超えないように、働く時間を抑えなければなりません。
令和の今、不況や物価高で、妻も家計を支えるために稼ぎたいのに、制限があるので働きたくても働けないのです。
「壁」が103万円になったのは1995年。それからずっと、据え置きです。それ以前の80年代は、90万円、100万円だったとのこと。
70~80年代の頃は、日本社会は「一億総中流」といわれていました。生活レベルや社会的地位にそれほど差がなく、みんなが同じように、「うちは中くらいのレベルの家庭」と思っていたのです。
そして1989年、年号が昭和から平成へと変わりました。
「恋愛至上主義」のトレンディドラマが放送された80年代後半~90年代前半と同じ頃が「バブル景気」。
バブル(泡)ははじけて、景気のいい時代は終わります。
93年、初めての「就職氷河期」到来。
97年、大手の証券会社、山一証券が破綻。
90年代から日本の経済成長は鈍化。「失われた30年」といわれ、格差が広がり、勝ち組と負け組に分断されています。
それはまだ解消されていません。
もし、恋愛しても、結婚しても、いくら働いても、「この社会で、女性であることで感じる生きづらさ」をもって、つらい思いをしている人がいるなら、それはあなたの自己責任でもなんでもない。男尊女卑的な社会の構造がずっと変わらないから、という理由もあるのです。
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さて、長くなりましたので、今回はここまで。
1980年代を振り返りました。
次は、1990年代の「恋愛、結婚、処女の歴史」をお送りします。
つづきはコチラ
●参考文献
牛窪恵『恋愛結婚の終焉』光文社新書 2023年
牛窪恵『アラフォー独女あるある図鑑』扶桑社 2013年
上野千鶴子『こんな世の中に誰がした? ごめんなさいと言わなくてもすむ社会を手渡すために』光文社 2024年
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龍泉寺可憐|40代で「彼氏いない歴=年齢」&「おひとりさま」の占い師(占いカウンセラー)
新卒で出版社に勤務
親の介護&コロナで働けなくなってから派遣で図書館に勤務
ライターとしても活動
電話占い師として1年で老若男女のべ750人鑑定
現在、占いカウンセラーとして「彼氏いない歴=年齢」・「おひとりさま」の女性のお悩み相談に乗ってます
▷占い相談 ※女性専用
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