疲労をアースする
最近ちょっと時間差があるんだ。
仕事仲間が「疲れた」と言い始める時間と
私が、(さすがに疲れたな)と思う時間に。
どういうことなのか考えていた。
動作術の先生と構造動作トレーニングの先生に
骨なりに立つことを教わっているからかな?と思った
まだ骨なりに立ててないよ。
立ててないけど、立とうとしている。
試しに、昔の骨格ポジションなんて知らなかった頃の身体で荷物を持ち上げてみた。
荷物が重たすぎる。こりゃ疲れますわ。
骨なりに立つと、重さをアースできる。
地中に流していける。
そうすると、疲れも流れていくみたいなんだ。
あとね、この言い方が正しいかどうかわからないけど
「立つこと」と「動くこと」が分離する。
疲れたり、少し体調悪くて動くのが大儀な時でも
立ってはいられる。
立っていることが、昔よりは苦にならない。
疲労をアースできると、同じ時間でできることが増えるんだ。
でも、「動作術いいよ」と変人枠の私が仕事場で言っても、全く人は動かない。
動作術の先生が
「猫派さんのいる世界は、全員黒帯の世界だから」と
笑っていらっしゃった。
全員「俺はできる!」と思っている世界だから
「◯◯が良かったよ」が
「こいつ、俺にアドバイスしてくるなんて、俺を下に見てるな。俺の方が上だぞ」
になっちゃうんだって。
プライドとか好き嫌いとか序列ほしがる傾向があるから、人の心は難しいな。
私は
「あそこのラーメン美味しかったよ」
って言ってるだけなのに。