「落とす」と「落ちる」
(落とせないな〜)
原始歩きの会で、四足歩行のスキップをしていた時、そう思った。
(落とせないな〜)
楽道庵の月曜ワークショップで、能の摺足をしていた時も、そう感じた。
なんていうか、重さを落とせないとダメなの。
でも、私は、重さを手放せなくて、ギュッて抱えこんだまま歩いているの。
その前に、なんで四足歩行してんだとか、摺足と人形劇関係あんのか、とかいろいろつっこむところ満載だけど、この中に欲しい要素があるんです。
別に四足歩行のスキップができなくたって、人生に支障はないし、
摺足ができたとして、どこで披露すんだよって話だけど、
でも、重さは落とせないといけない。
重さが落とせないと、
重さを手放せないと、
真の意味で動いていることにならないから。
どこかが引っかかっている
なんか、落とす前の「持ち上げる」からできていない気がするんだよな。
今は、落とせないから、躍起になって、落とそう落とそうとしている。
でもきっと、落とせるようになった瞬間、
私は、落とそうとしていないことに気づくだろう。
多分、自然な流れすぎて、
(あれ? 落ちちゃった)
って感じになるんじゃないかな。
あるいは、自然すぎて、落ちていることすら感知しないかもね。
落とそうとすることじゃなくて、
落ちることのできる状態まで持っていってあげることが必要なんだ。
そしたら、あとは勝手に落ちると思う。
で、そこは、どこなのよ?
というわけで、話は振り出しにもどるのさ。
(落とせないな〜)
なんなの、この無限ループ
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