余白を観なさい
「余白を観なさい」って、刀禅の先生に言われたの。
鏡に映った自分の姿だけを見つめるんじゃなくて
自分の姿を切り抜いた余白を観なさいって。
余白を観ていると、余白に侵入してくるものを捉えられる。
動きの輪郭が観えてくる。
余白を観る方が、動きが観える。
動きを追おうとすると、動きは観えなくなってしまう。
「余白を観なさい」って言われたなって
家でゴロ寝しながら思い返していたの。
その時、ふっと思ったんだ。
私、台詞と台詞の余白を観ようとしていたこと
あったかしら。
音と音の余白を聞こうとしていたこと
あったかしら。
表面に現れる台詞しか、観ていなかったんじゃないかしら。
音になる前の音は、聞こうとしていなかったんじゃないかしら。
「余白を観なさい」って言われたの。
そして、余白を観ようとしていたら、観えてきたの。
台詞に関して言えば、余白も台詞なんだって。
台詞じゃないところも台詞なんだって。
余白の中で、産出と成形が行われている。
それが表出したものが、台詞なの。
観えないところでうごめいている台詞と、
観えるところにいる台詞がある。
私は、観えないところにある台詞を、
もっと注意深く観ようとしていなければいけなかったんだ。