剥がれていたらいけない
アートマイムの先生の「重心移動と肩甲骨」というワークショップに行ってきた。
(肩甲骨って自転車のハンドルなのね)
肩甲骨から動きを導いてあげると、
自転車のハンドルをきると、その方向に進んで行くのと同じように、身体が運ばれていった。
(今、動いているものが、剥がれていたらいけないんだ)
肩甲骨からはじまった運動に、引っ張られながら そんな風に感じていた。
すごい抽象的な言い方になってしまうんだけど、
重さが伴っていない動き 重さが伴っていない台詞
ってダメなんだ。
自分がそうなってしまっている時や 人がそうなっている時、
(剥がれちゃってるな)って思う。
何かが剥がれてしまっていると、
からっぽの動き からっぽの台詞になってしまう。
まあでも、これは私の価値観だから、 全人類が、剥がれているのをダメだと思うかどうかは知らない。
周りの人を見ても、いろいろだもん。
剥がれる以前に、そもそもくっつけようとしていない人
剥がれずくっついている人
くっついたり剥がれたりする人
でも、私は、剥がれていないのが好きだな
重さに引っ張られるのが好きだな
もっともっと、重さに引っ張られたいな
公園の木と木の間を走り抜けながら、そう思っていた。