続・眼が居着く
アートマイムの先生のワークショップのおかげで
少しだけ 眼球を居着かせない方向性が観えてきた
……ような気がする。
(詳細は先生にお尋ねくださいね~)
やっぱり、眼球は置いておくだけでいいんだよ。
(そんな記事を、過去に書いた気もするわ。トホホ)
置いておくだけで、観えているんだよって
それを、私が理解する必要があるだけなんだ。
ギュッて観ようとしすぎる動き、
これが本当に いらないんですよ。
古武術の押す動きと、問題の根は一緒だ。
これも下手くそなんだけど、
下手な理由は、押すと掴むを混同しているから。
押すのに、掴むは必要ないんだよ。
でも一生懸命掴もうとしちゃうの。
掴む動きがブレーキになって、押しているのに押せなくなる。
押せばいいだけなのに。
観るのも同じ。
ガブガブ掴まなくていいの。
でも、観なきゃ観なきゃって焦る心が 過剰に掴ませるんだ。
お気に入りの玩具を取られまいとする、おバカさんな犬みたいにね。
私は、観ていないのかもしれない。
観ていたら、観えてるから大丈夫だなって なるもの。
観ていないのかもしれないね。
眼の前のものを観ないで、
観ないことで失敗する自分の姿を観ているの。
こうなったら どうしよう
こうなっちゃ ダメだ
そんな自分は、まだ いないのに。