「振りまわす」と「振りまわされる」
自分の番じゃない時に、先生と他の生徒さんの攻防を見ていた。
私は、先生と対峙すると振りまわされちゃうんだ。
振りまわされるのって、人形劇でお客さんと
向き合った時に、お客さんにのまれてしまった感触と似ている。
(のまれてる場合じゃないんですけどね)
相手をどうにかしよう、どうにかしようと思えば思うほど、自分の根っこが抜けてきちゃう。
自分が小さくなって、相手が大きくなってしまう。
先生と対峙した時、先生は大きくて私は小さかった。
(実際問題小さいけど)
根っこが抜けると、どんどん自分が小さくなっていく。
根っこが抜けて、浮足立った身体になったらいけないんだ。
先生と他の生徒さんの攻防を見ていると、
「振りまわす」と「振りまわされる」は紙一重なんじゃないかな?
そんな気がしてくる。
私は振りまわされているだけだけど
本当は、風見鶏がクルクル向きを変えるみたいに
「振りまわす」と「振りまわされる」は
クルクル入れ替わっているんじゃないだろうか。
根っこの抜けた私には、それが見えなくなっているだけで。