刀禅と動作術
はじめて刀禅に行った時、ちょっと戸惑ったんだ。
動作術で「こうしましょうね」っていう姿勢と違うから。
でも、この前のお稽古で、
それぞれが何をしようとしているのかが、少し観えてきた気がする。
だから、自分用に整理しておく。
(注:未熟な個人の見解です)
動作術は、構造動作トレーニングをベースに 自然な骨格位置を取り戻して、自由で楽な動作になることが目的。
軽やかに重心を移動させたいの。なめらかに運動したいの。
方向で言ったら、開放方向を目指している感じかな。
だから骨盤立位を求める。
刀禅は、運動に 重さや厚みを付加しようとしている。
なめらかに動かないわけじゃないんだけど、
重さや圧が伴わない なめらかさには意味がないっていう思想なんじゃないかな。
(憶測ですが)
方向で言ったら、閉じ込める方向、圧縮、凝縮方向を目指している気がする。
その、圧縮させたものを爆発させることで起動につなげるっていうか。
なんかね、(お食事中の方すみません)
alwaysトイレで大きい方しようとしてるって感じ
(本当すみません、他に適切な言葉が今見当たらない)
刀禅と動作術って、陰と陽みたいだな。
動作術は、軽さを目指す。
刀禅は、重さを志向する。
動作術は、日常動作のレベルを上げようとしている。刀禅は、非日常動作の質を高めようとしている。
(くどいようですが、未熟な個人の見解です)
私の中では、自然な動きのパワーアップ=動作術
不自然な動きのパワーアップ=刀禅。
(この場合の自然というのは、運動強度の低い日常生活をおくる上で、このくらい動ければ大丈夫だよねという動きです。
運動強度 低=自然=日常動作
運動強度高=不自然=非日常動作
という捉え方でお願いします。
先生にも指摘していただいたけど『自然』って言葉あんまり良くないですよね。解釈の幅が広すぎて、お互い真逆の事を『自然』って言い合っていたりするから。
あと、日常動作の質上げだから、動作術は簡単なことしかやってないんでしょ?ということは全くないです。すごく高度なことをしています。見た目は地味ですけど)
刀禅と動作術、この二つを知ることができて
本当に良かった。
表現には、この二つの要素が必要だから。
表現って、自然なだけでは、表現として自立し得る
強度を持てないんだ。
でも、自然がわかる、体現できることは、ものすごく重要。
どれだけ、自然な身体で動けるかが、
表現で要求される
どれだけ、不自然なことを体現できるかに直結するから。
そんで更に、表現では、その不自然が自然に見えるようにお化粧して、なじませてあげないといけない。
(この辺はアートマイムの先生が超詳しい)
ああ、なんか 書いてて目が回ってきた。
多分、底の部分では つながってるんだ、自然も不自然も、日常動作も非日常動作も。
もしかしたら、こんな区分けいらないのかもしれない。
……書いてる事が支離滅裂だけど、
何が「整理しておく」だよ、余計とっ散らかっとるわって感じだけど、
とにかく私は、(刀禅と動作術を知ることができて良かったな)と思っていて、
刀禅と動作術を両輪にして、キコキコ漕いでいったら遠くに行けるんじゃないかな
今、ちょっと そんな気がしている。
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