動きの発信源

アートマイムのレッスンで、鍬を土に打ちこむ動作をした。

鍬(マイムだから実際には持っていないけど)を 振り上げると、最初は、私が鍬を引っ張っているのに、徐々に鍬が私を引っ張りはじめる。

腕の中で、「引く」「引かれる」が入れ替わる。


と言っても、常に「引かれて」いるんだろうなとは思う。

鍬を手にした時点で「引かれる」が発生しているんだ。当たり前の現象だから、いちいち意識しないだけで。


オンラインで受講していたから、画面越しに  「引く引かれるの逆転劇が面白いです」と言ったら先生は怪訝そうな顔をしていらした。

「重さを生み出す」が今日のテーマらしいから、 またテーマじゃないところに注目しているのかも しれないな、私。

まあいいや。それが私クオリティ。

「今その話してないよ」というところが気になる女 

保育園や幼稚園で集団でお散歩に行った時、   道端の何でもない草とかに注目して       集団から はぐれる子ども

それが私。


集団から はぐれて、思いはめぐる。

人形と自分の関係も、そうなんだよね。

自分が人形を引っ張っていると、あんまり良い動きにならないんだ。

人形が私を引っ張ってくれている方が、良い動きになる気がするんだよな。(といっても、まだまだまだまだまだまだですが)


常に引かれているんだろうな、と一緒で     常に引いてもいるんだろうなと思う。

でも操演者が人形を「引いている」のだけが見える動きって

人形が、動きたくないけど動いてますって感じに 見えるんだよね。

まるで、やりたくない仕事を無理矢理やらされている私のようだ。

「あなたも大変ね」って声をかけたくなる。


動きの発信源がどちらなのか、かな。

自分が発信源じゃなくて、           人形が発信源で、人形についていく方が良いって ことかな。

本当の発信源は、人形が見つめる先にあるのかも しれないな。


画面の向こうでは、先生が生徒さんに

「常に生み出し続けるんだよ」

とおっしゃっている。

人形の見つめる先にあるものが発信源になることで常に生み出し続ける状態になりそうな気がするぞ。


はぐれていたけど、

しれっと皆のいるところにもどっている私であった。

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