手は足 足は手

手や腕に関して、

「……というのが、中国武術のだした解です」

と、竹川流運動の会の先生が、おっしゃっていた。


(『……』を知りたい人は、運動の会へ。

先生方が、心血そそいで得た解答を、一生徒がホイホイ書き散らしていいのかな? と私は思ってしまうので)


人間は、四足歩行から二足歩行へ移行し、両手を自由にした。

そのことにより、

様々な道具を、自分の身体の延長として使い、

貧弱な身体のブーストに成功した。

道具を持ちかえればいいだけだから、

サーベルタイガーの牙みたいに、


(あれ? 時代にあわなくなってきた。

じゃあ、オレ、滅びますわ)


ってなことにもならない。

(サーベルタイガーに関しては、諸説あります)


だから、人類は、地球上にのさばっていられるのかな。


でも、四足歩行していた時って、

手は、身体(体幹)と一体になっていた。

手を、独立して使うようになればなるほど、

身体(体幹)とのつながりが希薄になっていく。

支える機能を、手が忘れていく。


脳が、身体から離れて、独り歩きしてしまうように、

手や腕が、糸の切れた凧になってしまう。


足なんかもっとひどいよね。

自分に関して言えば、

足は、存在自体忘れ去られている。

手みたいに、意識にのぼる使い方をする機会が少ないからだな。


手に、前足だったころの記憶を、思い出してもらう。

足は、

(あら! 足さん、いたの? そこに? ずっと?

え? 手さんみたいに働いてくれるの?)

私が、足の存在を思い出す。

(ひで〜な、おい)


その方が、身体のつながりは、取り戻せる。

四足歩行をしながら、そう思った。


手は足

足は手


それが、私の出した解だ。

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