動かない自分になれって言われてる?
物差し身体に入れるんだって、刀禅のお稽古。
大道芸のびっくり人間みたいに、呑みこむわけじゃ
ないですよ。
(詳細は先生にお尋ねください)
竹尺持って歩いていると、身体がギュッと制約されてくる。
動かない身体になってくる。
動かない身体と、動けない身体は違う。
動かない身体になってくると
(動いちゃう身体ってダメね)なんて気がしてくるのが不思議。
竹尺持って歩いていると、
「動かない自分になりなさい」
そう言われてる気がしてくる。
たまにしか顔を出せていないけど、
落語のお稽古をつけてくださる師匠のことが脳裏に
浮かんだ。
師匠の声を聞いていると
(この人は深い淵だ)って思うんだ。
浅い洗面器に入った水みたいに、バシャバシャ暴れないの。
師匠は、身体に 深い静かな水をたたえている。
自分が動かないから、お客さんを動かせるんだと思う。
動かない自分にならないと、人は動かせないんだ。
ギュッと固めた動けない身体ではなく
「動かない身体になりなさい」
なんか、竹尺に そう言われてる気がする。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?