映画「永遠が通り過ぎていく」感想
先日アップリンク吉祥寺で別の作品を観て、そのとき予告でこの作品を見かけて気になって。
最近はできるだけフットワーク軽く、アクティブに、いろんなものを体験しようと思ってたので、監督さんのことや女優さんたちのことは存じ上げなかったんですけど、観てきました。
トークコーナーについて
映画の内容の前にトークコーナーの話になるんですけど、上映後に監督さんのお話を聞いて、まず最初に思ったのが「同じ言語を使う方に会えた気がするな」ってことで。
1作目の『アリアとマリア』の感想としてトーク相手の方が「同じ日本語を使っているはずなのに、二人が別々の言語で喋ってるみたいで〜」っておっしゃってて、なんかそういうのわかるなあって思って。そしてそういう目線で見たとき、監督の方は自分と近い言語を使ってお話しされる方だなって思いました。喋っている言葉が、どういう意図で、どういう風に伝わって欲しいから、その言葉を選んでるんだな、っていうのがわかる感じ、っていうか。お話を聞けて良かったなと思いました。
トークの中で「傷だらけになっても生き延びてしまった人たちを肯定したい」(すみませんメモ取ってなかったのでニュアンスです)みたいにおっしゃってて、そういう言葉の選び方をするの、なんか素敵だな、みたいな。あんまりうまく言えないんですけど、、
映画について
映画の内容は、正直難しかったです。よくわからないなって思ったところもたくさんありました。3部作だったんですけど、1作目の冒頭は特に、言葉を理解しようとする前にどんどん次の言葉が流れてくる感じで。
でもトークで監督さんの話し方を聞いていて、多分、安易に噛み砕いてわかりやすくすることで自分の感じたものを殺したくないのかな、とも思いました。
わかりやすくしようと思えばいくらでもできると思います。ここはこういう台詞の方が見てる人に伝わるな、とか、そういうの。でも、そういうことじゃないんだろうなって思いました。大多数に伝えるというよりも、「自分の感覚をここに曝け出すから、これを見た誰かと何か共有できることがあったらいいな」みたいな。そういう感じなのかなって。
こういうのは商業じゃなかなか許されないことなので、トークでもおっしゃっていたように、いろんな人の手助けがあって実現したんだろうなあって思いました。
私自身、現在大学でデザインを専門的に学んでいるので、基本的に何を見るにしても「商業的なものづくり」を前提にしているところがあるんですけど。もし次に観る機会があったら、一度その眼鏡を外して観た方がいい作品だな、と。
私は映画の中で確実に共有できたと言えるものは少なかったんですけど(これはそういう眼鏡をかけていたからでもあります)、監督さん自身を知ってから「もっと共有できることはないかな」って探したくなりました。
noteとかコラムとかも書かれているそうなので、今度はそういう「言葉」の方に触れてみたいです。
好きなシーンは『アリアとマリア』の最後です。3作品の中で一番観るのが難しくて、わからないところがたくさんあった作品でもあるんですけど、最後、外は薄暗くて寒くて、それでも温室から飛び出したところが好きでした。
それから、全編通して画面や光の演出がすごく綺麗な映画だなと思いました。
ラストの大森靖子さんの『M』は、劇場で、大音量で聴くからこそ心に突き刺さる、悲鳴のような歌で。いろんな心の悲鳴を一気に浴びた気持ちになりました。
おわりに
私自身、高校までは自分にしかわからない絵を描いていて。自分の感覚をそのまま絵にしていたんですけど、わかってくれる人はあまりいませんでした。でも今思えば、安易に「わかる」って言われたくなかったから、よくわからないように絵を描いていた気もします。
前述の通り、今はデザインを通して「他人に伝えること・伝え方」を学んでいるんですけど。なんとなく、今回の映画で、中高の頃の「誰かにわかってほしかったけど、誰にもわかられたくなかった」「わかってないのにわかるって言われて傷つきたくなかった」ときの気持ちを思い出しました。
すみません。帰りの電車で打ってて、あまりまとまりのない文になってしまったんですけど、とりあえず何かしら言葉で残しておきたいなと思って。
「永遠が通り過ぎていく」、4/14までアップリンク吉祥寺にて上映中です。上映期間が伸びたそうです。4/21まで、アップリンク吉祥寺にて上映中です。ぜひ。
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