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休むことについて、「甘やかし」とは?

例えば、我が子が頭が痛いというので学校を休ませる。
これは甘やかしだろうか?

年齢にもよるのかもしれない。
未就学児だったら?
中学生だったら?

その子の体力や普段の生活も関係してくるかもしれない。
前日に夜更かしをしていたら?
低気圧に弱い子だったら?

条件付けは多様である。
だから一概には言えない。

親は子にどう接する必要があるだろうか。
私が子どもの頃、熱がなければどんなに不調でも学校へ行かされた。
頭が痛かろうとお腹が痛かろうと。
30年ほど前は、まだそういう時代だった。

片方の親が家にいたらまだ違ったかもしれない。
共働きで核家族で小学校低学年の子が休めば親も休まざるを得ない。
余程のことがなければ休むなんてことは選択できない時代。
それでも私は、私の声を聞いて欲しかったと思うことがある。

今では私も母になり、色々な職種を経験し、様々な職場で働き、多様な働き方、休み方への価値観を知った。だから当時の両親の気持ちもわかる。
そういう経緯の上で、私は子どもが休みたいといったら休ませたい。
いや、単純に休ませるのではなく、話を聞く、かな。
なぜ休みたいのか。

その日だけじゃない、前後も関係している、その周辺での行事やら、最近の友達・学校事情やら、前日までの生活の様子、コンディション全部、客観的に見える範囲を把握した上で、話を聞く。

あと、シンプルにがんばりすぎて心が疲れてることもあるから、そういう時は無条件に休ませていいと思っている。
側から見たら甘やかしなのかもしれないけど。
それで潰れたり、不安定になったり、何も言えなくなってしまったりするくらいなら、長い学生生活の数日を休んだって何も問題はない。

勉強が遅れることより、大事な何かを失う可能性のある子どもの「休みたい」に敏感でありたい。

話は変わるけど、日本人は休まなさすぎである。
ほいほい休ませることを甘やかしと定義するのであれば、休まない→甘やかさないのも問題である。自分も、子どもも。

私の現在の職場では、休むことについて割とフラットにしているのだが、事前に確認(許可)をとってくる人がいる。
何度か、個別に連絡は不要ですよ、決まってる予定であれば週次のMTGで事前に報告だけで許可はいらないですよ、と伝え続けることでやっと上長への事前承認をやめてくれる。

有給休暇は労働者の権利だ。システム的な承認作業はあれど、休むことについてこちらに拒否権はない。休みたい時に休んでほしい。
休みが長期となれば前後の業務調整は必要だが、日頃から周囲も巻き込んでおたがい持ちつ持たれつ仕事をしていれば、たまに休んだくらいで文句を言う人はいない。(というか、管理者権限で言わせないw)

自分のために休む、楽しみのために、子どものために、誰かのために、理由はなんだっていい。ちょっと気分が乗らないので休みます、も立派な権利だ。
一生懸命働いて、日々生活していたら、ちょっとくらい「疲れたから休む」があっていいでしょう。そうやって小さくリフレッシュした先に、またちょっと頑張ろうかな?を積み重ねる日々があるのだから。

私は、我が子に「休みたい」が言える人に育ってほしいと思っている。

大金を稼がなくていい、何者にならなくてもいい、自分の日々を生活を大切にして、疲れた時は休んで、がんばりたい時は踏ん張って、周りの人も自分も大切にして、「今日も一日、いい日だった」を積み上げてくれたら、他に望むものは何もない。

それを「甘やかし」というのなら、甘やかしもいいもんじゃない?


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