あいつにライド・オン

10月になろうとしています。私は、もうすぐ大学受験を迎えようとしています。今どのように過ごすかで、人生が決まってしまうんだよ、と毎日先生に言われ、心が疲弊しています。些細な事に傷ついてばかりですが、ふとした優しさに触れると感動してしまって、そんな先生の事も、なぜか嫌いになれません。離れたくないな、と思ってしまいます。
どうでもいい冗談で笑い合える友達は沢山いるけれど、一緒に泣ける友達はなかなか見つけられません。(これは共感する人が多いのでは無いでしょうか。)実は、一緒に泣ける人以外とは極力、会話もしたくない。いつも私だけ違う世界にいるような気分になるからです。猫ミームとかコムドットとかの話をしている時、実はみんな同じこと思ってるんじゃないかなぁとか微かな希望を抱くものの撃沈する日々。
それでも人の事は嫌いになれない。「嫌いな人」って言われて誰も思い浮かばない。なぜだろう?
その人が積み上げてきた人生の色々な要素に、私が泣きたいと思えることが重なるから、いや勝手に私が重ねてしまっているからなのかも知れません。
たまに化学反応が起こって、勝手に私の心は軽くなったり重くなったりするからでしょう。毎日こんなことを考えてばっかりで、どうでもいい事はまったく頭に入ってきません。これが40歳とかになっても続くのかなぁと不安に思っています。高校生らしい悩みですね。

長くなってすみません。本題に入ります。
急に書きたくなったので、2010年発売 相対性理論+渋谷慶一郎のアルバム「アワー ミュージック」に収録されている『スカイライダーズ』について話したいと思います。

街中で聞いていると気づかないかもしれない。
瞼を開けるように、やくしまるえつこが「すぅ」と息を吸って始まるこの曲。次の瞬間、空を駆けるような爽快感が身体を走る。渋谷慶一郎の世界が一気に広がる。繊細だが重く語りかけてくるようなピアノに、優しく溶け込むやくしまるえつこのスキャット。開始5秒でその究極の先鋭的サウンドにメロメロになります。曲を聴き終わると、このリフの虜になっていること間違いなし。

"まさかね 夢見てるだけね"
"重なるからだ真っ逆さま"

主人公が、好きな人と"あいつ"が身体を重ねている瞬間を目撃した所から始まります。
私の好きな人には、好きな人が居るのかな?……

"ナスカに描かれた微かな希望"

ナスカの地上絵。最近新しい絵柄が見つかったとニュースになりましたね。
大雨が降っても、風が吹いても、消えないように、人々に守られてきたその地上絵。
主人公の心の中にも、自分の中で守り続けてきた、胸のプリズムのような"ナスカ"があるのです。
それだけが、拠り所となるのです。わたしのナスカへ、好きな人と"あいつ"の関係に、微かな希望を込めます。きっと、違うはず……。

"アメダス、ねえ教えて どうです?明日のお天気は
「雨です」期待して訊ねるウインカー"

ナスカの地上絵は雨乞いの為に描かれたとされる説が有力とされています。明日は雨であってほしい。好きな人とあの子の関係も…違うと言って欲しい。微かな期待。アメダスみたいな超現実を、絵とか祈りとかで誤魔化したくなるような、恋心。

歩く速度のように進んでいく音楽に臨場感が出てきます。まさに、浮気現場を目撃したようなドキドキに似ている感じです。それに自然に溶け込む、渋谷慶一郎のピアノ、すごすぎる。

"口からでまかせシニフィアン
誰にもあげないシニフィエ
ナポリタン食べたらすぐに出動なんだ"

自分の思いを、他人の口から出るままに、いい加減に形容される、表象。
大好きな人の、私だけしか知らない要素、独り占めしたい、概念。

どうしても止められない恋心は、すぐに大好きな人とあいつの間に、割って入る準備にかかります。
体を重ねてる、大好きな人とあいつを、引き剥がしたい。結構重めな愛ですね。いや、大好きなら、私もきっとそうするだろう。でも、ナポリタンは食べたい。

"止めて 恋の加速装置
どいて ブレーキなんてない
跳んで キスまでの距離
ハイスピードでとばす遺伝子
止めて 恋のスピンアウト
どいて 邪魔をしないで
飛んで ボディを捨てて魂で吹かす"

相対性理論らしい、サビ前独自のギターメロディーが響きます。次の瞬間、主人公は好きな人とあいつの間に飛んでいきます。出発進行の合図です。
おいおい、キスしそうになってますやん。絶対、そんなん許さへん。どけ!邪魔するな!私が阻止しに行く!……て感じですね。


"恋のハンドルにぎるのはわたし
あいつにライド・オン"

__ ride on 「乗り物で移動すること」を意味する英語のフレーズですが、ビジネスでは「〜にかかっている、〜次第である」という意味でも使われます。

躍動感・疾走感溢れるメロディ。"あいつ"目掛けて一直線。まさにスカイライド。(轢き殺さないでね。)
私が恋のハンドルを握っているんだ。私が私の恋を操作したいんだ。でも、実際は"あいつ"にかかっているんだ。"あいつ"次第なんだ。さすが相対性理論…言葉遊びの天才だと思います。因みにここらへんのベースの音がたまらない。



ここで一気にバックグラウンドのピアノのメロディがバラードチックになってスポットを浴びます。
なんだこの感覚。一気にせつない気持ちになる感覚です。

"まさかね、夢見てるだけね
重なるからだ真っ逆さま
かすかに描かれたナスカな希望"

ナスカに描かれた、微かな希望じゃなくなるんです。微かに、ナスカな希望が描かれます。
主人公の心の中にあるナスカの地上絵は、薄れてきてしまっているのかもしれません。
決して希望は見失いたくないけど、希望を見つけるその心は削れてきている、感覚でしょうか。
負けないで。主人公!

"ユレダス、ねえお願い ほら、ドキドキ初デートなんだもん
時々、P波揺れ出すけどナイトゲーム"

先程の、ピアノのバラードチックなメロディから、また繰り出されるやくしまるえつこの優しい歌声。
主人公の心が揺れている様子が伝わります。
ついに、"あいつ"と武力衝突したのかな。
大きくて遅いP波のように、心は揺れたまま、ナイトゲーム__ナイター開始です。日が落ちて真っ暗闇の中、打席に立ってスポットが当たります。

"繰りだす魔球はメガトン 逃げ出すあいつに目が点"

バッターは"あいつ"、ピッチャーは主人公です。
ピッチャーの主人公は、大好きな人への愛の重さ、メガトン級の魔球を投げますが、バッターの"あいつ"は、その重さにビビって逃げ出します。
バットを思い切り振っても、当たらないと思ったのかな。単純に主人公の投げた球が、コントロールが最悪の危険球で、当たって怪我するのを察知したからかな。分かりませんが。"あいつ"は結局、逃げちゃいました。主人公と同じ土俵に、経つのを諦めたんです。

"あみだす 会心のメタモルフォーゼ"

主人公は思い通りの変身を遂げます。
今まで自分の思いのままにアクションした事がなかったのでしょうか。
好きな人と"あいつ"の関係に突撃して、私って変身できるんだ、とか思ってるわけです。かわいいなぁ。


"でも雨だし、呼び出しはスルー どうする?地上はピンチだ
お腹がいたい、夢なら覚めたらいいな"

主人公の周りには雨が降ってきます。友達、もしくは親に、呼び出しをします。試合終わったけど雨降ってきたし、車で迎えに来てー。とかですかね。けれど、返事がありません。スルーされます。
私、大変なことをしてしまったみたいだなぁ。恋心に夢中になって向き合った結果、かえって私をピンチにしてしまったのか。

お腹が痛くなってきた。夢なら覚めればいいのに。

_______


ネトスト中の心情に似てるなとか思いました。

私は、この曲の織り成す世界観が大好きです。私の考えと似ているなと思います。

誰かに想いを寄せるけれど、その想いは、また別の誰か次第になっちゃうみたいな、切ない気持ちよ。この曲の主人公くらい、思い切ってアクションできたら気持ちがいいでしょう。しっかりナポリタンは食べた上で、現実なんて、地上なんて、どうでもいいくらい狂いたいです。

ここまで殴り書き。30分くらいで書き終えました。

今から寝て、起きたらまた学校です。憂鬱だなぁ。
また明日からも、友達の愉快さを吸い取って、寄り添って、自分に内在する狂気を隠しながら、共有できる相手を探す旅に出ます。


音楽的知識などが全くないので、不適切な表現があったらすみません。

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