「研究」という授業
前に書いた記事がそこそこの反響を受けましたので、研究室での生き方を題材に、何本かnoteを書こうと決めました。
今回は、研究室生活の私なりの捉え方について紹介します。
※ 今回も私個人の意見ですので、すべての大学・研究室に当てはまるものではありません、あらかじめご了承ください。
1. そもそも大学生活をどう捉えるか?
前回の記事では研究室生活での目標にフォーカスを当てた内容を主に取り扱いましたが、そもそも論として、研究室生活って何なのでしょうか?特に学部や修士で卒業する学生にとっては、研究室生活は大学生活の最後の一部でしかなく、その間には今後の人生をある程度左右する就職活動が控えているでしょう。そういう風に見ると、研究室生活は単なる「就活の通過点」でしかないでしょうか?
この点に関して私個人の意見を述べるために、まずは大きな括りの「大学生活」について述べたいと思います。個人的には、大学は教育機関であるので、就職後に社会人として必要な実務を想定しそれを教えるような場所ではないと思っています。大学とは、ある意味モラトリアムな時期を大学生に提供していて、その間に大学生が自分自身のことを見直して、次の人生のステップ(就活含む)につなげる場であり、その助けになるような知識や経験を享受する場であると、私は捉えているからです。得られる知識や経験の中には、もちろん論理的思考力や英語力など、社会人になってからも必要なことも含まれますが、ただそれだけに絞るべきではないと思います。人生は就職したら終わり、というわけではないので、大学卒業後の人生が豊かになるように、就職だけにこだわらず、色々と身に着けて欲しいと思っています。
そういう意味で私は、「大学生活」は単なる就活の通過点ではないと思っています。もっと広い意味での人生の通過点であるべきです。ではその中にある研究室生活はどうでしょうか?数学的には、大学生活すべてが単なる就活の通過点ではないのであれば、大学生活の部分集合である研究室生活ももちろん、単なる就活の通過点ではありません。しかしこの論理展開ではちょっと説得力に欠けるでしょうから、もう少し研究室生活にフォーカスを当てていきたいと思います。
2. 研究室生活をどう捉えるか?
研究室生活とは何でしょうか。大前提として覚えておかなくてはならないのは、研究室生活は単位が出るもの、すなわち大学の授業の一環だということです。授業ということは、学生は研究室生活を通して、何かを学ぶべきですし、研究室生活はそういった場として機能すべきだと思います。具体的に述べれば、研究室に所属する前と比較して、論理的思考力や説明能力、提案力、発信力など、研究の中だけにとらわれない普遍的な能力を学ぶべきでしょう。前回の記事でも触れましたが、研究室生活で大事なことは、データをどれだけ出したかではありません。どういう実験技術を得たのか、でもありません。繰り返しになりますが、実験や研究を通じて、学生自身が何を学んだのか、どういう能力を享受することができたのか、が大事であると私は思います。
ただ、「授業なのだから先生に教えてもらおう」というわけにはいかないのが、研究室生活の難しいところです。研究室生活は、それまで主に行われてきた講義形式の授業ではないので、受け身な姿勢では学び難いことが多々あるでしょう。そのため、積極的な姿勢、すなわち、「何がわからないのか」「何を調べるべきなのか」といった「問い」を自ら作り出し、それを調べ、実験等によって具体的に解決する行動が求められると思います。もちろん、「研究室で寝食を共にする」ことが評価されるわけではないので、上記の積極的な姿勢を示すために研究室に長時間滞在する必要はないわけですが、逆にあまりにも費やす時間が短すぎると、おそらくそういった姿勢は身につかないだろうと私は感じています。「積極的」という言葉からわかる通り、こういった姿勢の学習方法は他人から教わってできるわけでもないですし、他人の方法が自分に合うかどうかもわかりませんので、自ら試行錯誤を行い、調整してゆくほかはありません。そのため、こういった姿勢を会得するには時間がかかると思います。時間がかかることは悪いことではないですので、あせらず、しかし着実に会得できるように、研究室生活では努力してみてください。そういった「自ら学ぶ時間」が、研究室生活における授業形式だと私は感じています。
3. 就活が「悪」なのか
今まで書いたようなことを反転させると、よく耳にするこんな言葉が浮かび上がってくるのではないでしょうか。
「就職活動は研究遂行を妨げる悪である」
確かに、就職活動に平日の昼の時間を費やすことは、研究する実時間を減らすことにつながるでしょうから、就職活動が研究遂行を遅らせている、という事実は正しいとは思います。しかし、それは悪なのでしょうか?私個人的には、学生が就職活動をどう捉えるのか、に依存するのではないかと思います。前項に書きました通り、研究室生活は授業であって、研究(≒実験)だけしていればのではありません。積極的に学ぶ姿勢を身に着ける場であるべきです。
私個人の例をここで出します。私は薬学部出身ですが、今の薬学部の多くは、4年制の研究コースと6年制の薬剤師コースの2つのコースを併設しています。一般的に4年制コースからは薬剤師免許を取れないのですが、私は当時まだかろうじて存在していた特例措置を使って、4年制大学卒業後、修士・博士を経て、薬剤師免許を採りました。今の薬剤師コースでは、昔と異なり、長期の病院および薬局両方での実務実習を必須項目としています。ですので私も博士課程の間に合計半年程度、実務実習を受けました。当時から薬学部教員の中でも、「薬剤師コースに行くと実習に時間を取られて研究が遅れる」という、就活に対する意見と似たような見方もありましたが、個人的にはこの薬剤師実習を受けて、私はとても成長したように思います。実際の患者さんに会うことで初めて、薬理で学んだ化合物の「裏の顔」を知ることができ、座学が全てではないのだと痛感させられたからです。実習を受けるまでは私も実習をある程度邪魔モノに思ってましたが、実際に実習を受けて、研究以外の、でも薬学的な視点(患者さんは主作用(苦痛が減る)ではなくて、副作用(苦痛が増える)を実際には強く感じてしまう、など)を新たに得たことは、とても有益でした。
私はアカデミア一直線の経歴ですので、就活はしたことがありませんが、おそらく就活でも、似たような、研究以外の、でも今後の人生の価値観を形成するのに役立つような何かを得られるのではと思います。就活の期間に、志望する会社のことを積極的に調べたり、志望理由などを相手にわかりやすく伝える発信する方法を探る中で、研究室生活で会得すべき積極的な姿勢や情報発信力等を培えるのであれば、就活自体も、ある程度は研究室生活という授業の目標達成に貢献するのではないでしょうか。もちろん、就活に全力を出して研究室に数か月全く来ない、というのはどうかと思いますが(研究も授業の一部なので)、実験など研究室でしか行えないことと並行する形で、就活を行うことは良いことだと私は思っています。
正直、上に書いた表現・内容は綺麗事で、実際は泥臭いことが多いと思います。ただ、泥臭いからといって、「大学は就活のための通過点に過ぎないから就活に全力を出すべきだ」と思って欲しくはないですし、逆に「就活が長引いて研究できていない自分はダメ人間だ」とも思って欲しくはありませんので、こういう考え方を心のどこかで覚えていて欲しいと思います。
4. さいごに
研究室生活では、研究を含む総体的な力(積極的学習力、論理的思考力、発信力など)を身につけて欲しい、実験が全てではない、というのが今回私の伝えたいことでした。研究室生活ですが、研究が全てとは、私は思っていません。研究活動には多額の税金が注ぎ込まれているのだから、研究に全力を出すべきだ、という意見もありますが、その責務を大学生・大学院生が背負うのはおかしいですし、税金を使うのだからこそ、研究だけではなくて、日本全体にあらゆる方面で良い影響を出せるように(例えばデマが広がらないように日本全体での情報リテラシー・論理的思考力を高める、など)、頑張るべきだと個人的には思います。
それでは今回はこのあたりで。
読んでいただいてありがとうございました!
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