遺書の書き方

わたしはこの記事を、某ハンバーガーチェーン店でポテトをかじりながら書いています。

ファストフードを口にしていると、ふと人生を振り返る瞬間があります。
私は幼い頃からチーズバーガーとポテトが大好きで、放課後のおしゃべり、試験勉強、恋の悩みなど、たくさんのものをよく引き連れながら食べに行きました。

この手軽な食事が、アルバムのように私の人生を振り返らせてくれるのでしょう。

ここで私は、幾度となく遺書の更新もしてきました。

「遺書を更新する」というのも変わった話ですが、自分がいつでも悔いのない最後を迎えられるよう、ことあるごとに内容を書き換えています。

そして最近、気づいたことがあるのです。

はじめの頃の遺書は「自分を認めてほしい。もうがんばったから、許してほしい」と他者へ肯定を求めていました。

しかし最近は「お願いだから悲しまないでほしい。誰も悪くない、誰の責任でもない。今まで本当にありがとう」と他者を想う内容に変わっていたのです。

前に心療内科の先生がこう言っていました。

「自我は人間に二つある。一つは自分を思う自我、もう一つは他人を想う自我。人は自分をコントロールできたとき、初めて他人に目を向けられるんだよ」

私も、少しは大人になれたんじゃないかな。

ハンバーガーを無心に喰らっているようで、その心中がどうなっているかは誰にもわかりません。

次にファストフード店へ行ったとき、こんなことを考える人も紛れているんだと、周りを見渡してみてください。

死もファストフードのように、意外と身近な存在なのかもしれません。

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